ポーランド

旅がもっと面白くなる!ポーランド編 ショパンゆかりの地を訪ねよう

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もわりー

いきなりですが、質問です。ポーランドに行ってみたいと思いますか?

「ポーランドって見どころあるの?」「わざわざポーランドに行って何するの?!」

こんな気持ちになる方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、反対に是非ともポーランドに行きたいと思う方もいらっしゃるでしょう。そういう方々の目的は、きっとショパンに関連していると思われます。

数々のピアノの名曲を生み出した音楽家フレデリック・ショパンの名前は、みなさんご存知ですよね? そんなショパンが誕生した地がポーランドなのです。

そして、クラシックピアニストの憧れ、ショパンコンクールが5年に1度開かれる場所もポーランド、ワルシャワなのです。

2021年のショパンコンクールでは、日本人ピアニスト反田恭平さんと小林愛実さんが入賞したことが日本でも大きく取り上げられました。その後お二人は結婚されたのですよね。ピアノファンにとってとてもうれしいニュースでした!

今回は、ショパンの生まれ故郷であるポーランドでゆかりの地をまわりながら、ショパンについて見ていきます。

よろしければ、ショパンコンクールで反田さんが演奏した『英雄ポロネーズ』を聞きながら、一緒にショパンゆかりの地を訪れてみましょう。

1 ショパン生誕の地 ジェラゾヴァ・ヴォラ

1810年フレデリック・ショパンは、ワルシャワの西部、ワルシャワから車で1時間ほどのところの村、ジェラゾヴァ・ヴォラで誕生しました。父親ミコワイは16歳の時フランスからポーランドに移住しており、フランス語が堪能であった彼は貴族の家で家庭教師をしていました。そして、スカルベク伯爵家の家庭教師をしていた際、そこで侍女として働いていたポーランド貴族出身の女性ユスティナと出会い、結婚しました。

ショパンの生家は、このスカルベク伯爵家の別邸にあります。ショパン一家は建物の半分を使い、残りの半分はパン作りに使われていたそうです。

その後ショパン一家は、まだショパンが1歳にもならないうちにワルシャワへ移住しました。

現在ここは博物館として残されており、ショパンが生まれた部屋もそのまま復元されています。また、ショパンが両親にあてて書いたカードなどが展示されています。

生家のある広大な敷地には池や川もあり、公園として整備されています。この公園には、世界各国から贈られた植物が植えられているそうです。

そして、5月から9月の間、毎週日曜日にはここでピアノコンサートも開かれます。

このジェラゾヴァ・ヴォラの北部ブロホフ村には、ショパンが洗礼を受けた聖ロフ教会があります。ショパンの両親や姉が結婚式を行った教会でもあり、美しいルネサンス様式のこの教会も一緒に訪れてみましょう。

ジェラゾヴァ・ヴォラへは、ワルシャワから電車とバスを乗り継いで行くことができますが、旅行会社が半日観光のツアーも主催しているようなので、そちらもチェックしてみると良いですね。

2 ショパン ワルシャワからパリへ移住

ショパンの父・母ともに楽器を演奏しており、幼い頃から音楽に触れていたショパンは、6歳の頃から本格的にピアノを習い始めました。そして、7歳ですでに作曲をし、演奏会も行うようになりました。11歳の時には、ワルシャワを訪問していたロシアのアレクサンドル1世皇帝の前で御前演奏もはたしました。

ワルシャワで音楽院に通ったショパンは様々な名曲を生み出し、その後活躍の場を西ヨーロッパへと広げていきます。しかしオーストリアのウィーンで活動していた頃、ポーランドではロシア帝国による支配への蜂起が起こります。そのためウィーンではポーランドへの反感が強まり、ショパンが活動する場を得ることができなくなりました。そこで、ショパンは21歳でパリへと移ります。その後生涯ポーランドへ戻ることなく、39歳までの短い人生をフランスで過ごすことになるのです。

おしゃれで上品な着こなしで、美しいピアノ曲を演奏するショパンは、社交界へもすぐに溶け込んでいきました。しかし当時ショパンは、婚約者のポーランド貴族の娘マリアと破局してしまい悲しみにくれていたのです。そんな時、音楽仲間のリストを通じてジョルジュ・サンドと出会い、サンドに惹かれていきました。

流行作家として活躍していたサンドはショパンより6歳年上で、結婚していた時の子供が2人いました。サンドとショパンは、サンドの別荘であるマヨルカ島で夏を過ごし、冬はパリで過ごすという穏やかな日々を送りました。サンドと共に過ごした8年の間に、ショパンは数々の名作を残しています

しかしやがて、サンドとも離れ離れになってしまいます。サンドと別れてからのショパンは作曲ができなくなったと言われています。そして、元々病弱であったショパンは病に倒れ、39歳という若さでこの世を去ったのです。

ショパンは生涯、ほぼピアノの独奏曲だけを作りました。『子犬のワルツ』『英雄ポロネーズ』『華麗なる大円舞曲』『別れの曲』など、作品名をあげると次から次へと出てきますね。

3 ワルシャワ 聖十字架教会

このようにショパンはポーランドを離れて活躍していましたが、ショパンの死後、心臓は祖国であるポーランドに戻して欲しいという遺言が残されていました。そして、遺体はパリの墓地に埋葬され、心臓は壺に収められ、姉のルドヴィカによりワルシャワへ持ち帰られたのです。

その心臓は、ワルシャワの聖十字架教会の柱に埋め込まれています

第二次世界大戦によりこの教会も一度破壊されてしまいましたが、ショパンの心臓が入った壺は無事に掘り起こされ別の場所へ移されました。それから教会が再建された後、再びこの教会へと戻されたのです。

ショパンの命日である10月17日には、毎年この教会で追悼コンサートが行われています。そこで演奏される曲は、モーツアルトの『レクイエム』です。ショパンは自分の葬儀では、尊敬するモーツアルトのレクイエムを演奏して欲しいと願ったのです。

ショパンの命日10月17日の前後3週間かけて5年に一度開催されるショパンコンクールも、この日だけはお休みとなります。

4 ショパン博物館

ショパンの生家ジェラゾヴァ・ヴォラにだけではなく、ワルシャワにもショパン博物館があります。

2010年、ショパン生誕200年に合わせてリニューアルオープンしたこの博物館は、タッチパネルやAV機器などを駆使したハイテクなつくりとなっています。しかし元は17世紀初頭に建てられたバロック様式の建物で、クラクフの騎士オストロフスキが建てたオストロフスキ宮殿の中にあります。

ヨーロッパの貴族の館の雰囲気が残る建物内に、楽譜がデジタル投影によって展示されていたりと、伝統と近代が融合した独特な雰囲気を味わうことができるのです。

15室に別れた展示室には、ショパンの生涯にまつわる話がテーマ別に展示されており、大変興味深いです。また実際にショパンが使っていたとされるピアノの展示も必見です。

https://muzeum.nifc.pl/en/information/visitors/id/222/

この他、ワジェンキ公園内にあるショパン像や、ショパンがロシア皇帝アレクサンドル1世のためにピアノを弾いたと言われている三位一体教会などもあわせて訪れてみましょう。

ワルシャワの旧市街には、お店やカフェの並ぶ居心地の良い旧市街広場もあります。また、1944年ナチスドイツの支配からの開放を求めて抵抗したワルシャワ市民の勇気を称えたワルシャワ蜂起記念碑など、ワルシャワには他にも見どころがたくさんあります。ショパンゆかりの地と合わせて、ゆっくりワルシャワの町を満喫したいですね。

5年に一度ワルシャワで行われる、ショパンピアノコンクールについての記事もぜひ合わせてお読みください。

音楽初心者だけど知りたい!ショパンコンクールについて学ぼう

ABOUT ME
もわりー
もわりー
日本→ウィーン15年→現在ロンドン在住です。
書くこと・なにかをつくり出すことが好きです。

記事を読んでいただいた方をステキな旅へと案内できたら、そんな思いで書いていきます。

どうぞよろしくお願いします。
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