イギリス薔薇戦争 ー主要人物を辿ったストーリー

Mowary

イギリスとフランスとの間で起きた百年戦争の後、1455年からイギリスで起きた内戦、薔薇戦争とはどのような戦争なのでしょうか。

簡単に言えば、ランカスター家とヨーク家の王位をめぐる争いです。しかし、30年という長い年月をかけたこの争い、とても一言で言い表せるような内容ではなく、様々な人物が、それぞれの人生をかけて関わった非常に複雑な争いなのです。

今回はその薔薇戦争について、主要人物の人生ストーリーを追いながら見ていきましょう。

1 プランタジネット朝 エドワード3世→リチャード2世

そもそも、対立していたランカスター家とヨーク家は、プランタジネット朝の王エドワード3世が息子たちに与えた爵位であり、兄弟同士だったのです。

王位は長男の家系から優先されて継ぐことになっていました。そして、エドワード3世亡き後は、継承順位では長男であるエドワード黒太子だったのですが、父に先立ち病死していたため、息子のリチャード2世が継ぎました。

リチャード2世は専制政治を行い、自分の側近を重用したことで貴族らの反発にあいます。そして、エドワード3世の三男が築いたランカスター家を継いだヘンリーらと対立し、クーデターによりロンドン塔に幽閉され廃位されてしまいます。これにより、プランタジネット朝は断絶、そして、新たにランカスター家のヘンリー4世が即位しました。

2 ランカスター家 ヘンリー4世→ヘンリー5世

ヘンリー4世の治世は、国内やフランスで起きた反乱に対応することに追われました。そして、ヘンリー4世死後は、息子のヘンリー5世が即位しました。

ヘンリー5世は、シェイクスピアの劇でも英雄として描かれているように、非常に優秀な王でした。

この頃英国は、まだフランスとの百年戦争が続いており、ヘンリー5世は戦況を立て直しました。そして、フランス王シャルル6世の娘、キャサリン・オブ・ヴァロワと結婚し、イングランド王だけではなく、後のフランス王位までも約束されていました。しかし、ヘンリー5世は赤痢にかかり35歳で亡くなってしまいました。そして、状況は一変するのです。

まだ生後9ヶ月の息子がヘンリー6世として即位しました。

ヘンリー5世と結婚していたキャサリンは、まだ20歳という若さでその後の再婚が十分に考えられる年齢でした。しかし、フランス王家出身という重要人物であったため、周りに監視されながら、息子ヘンリー6世の世話をすることも許されずに過ごしました。そして、その時秘書官として支えてくれたオーエン・テューダーと恋仲になり、駆け落ち同然で結婚をし、3人の子供をもうけました。

この物語が、後の英国の歴史に大きく影響することになるのです。なぜなら、このオーエン・テューダーとの間にできた息子エドマンドの長男ヘンリーこそが、テューダー朝の初代王ヘンリー7世となるのですから。

このヘンリーが台頭するまでの間にはさまざまな長い戦いのストーリーがあるので、順番に見ていきましょう。

3 ランカスター家 ヘンリー6世

ヘンリー5世治世時にはフランスとの百年戦争で優位に立っていましたが、フランスにジャンヌ・ダルクが登場したことにより、イングランドは窮地に立たされます。

24歳となったヘンリー6世は、家臣の働きにより、フランスと和平を結ぶためにフランス王シャルル7世王妃の姪、マーガレット・オブ・アンジューと結婚しました。この王妃マーガレットこそ、薔薇戦争における主要人物の一人となるのです。

ヘンリー6世は戦争を好まず、穏やかで優しい人物だったと言われています。そして、何度も幽閉されてしまった王のために戦ったのは、このマーガレットだったのです。

ついに、イギリスはフランスとの長きにわたる百年戦争に敗北してしまいます。この頃から、百年戦争中も重用されていた家臣サマセット公らに対して不満を持つ人物、リチャード2世が頭角を現してきました。このリチャード2世とは、以前プランタジネット朝エドワード3世が息子たちそれぞれに爵位を与えた際、ヨーク家を継いだ人物なのです。

百年戦争後、ヘンリー6世は精神錯乱に陥ってしまい、自分の息子の存在すらわからない状態になってしまいました。そして、政治を潤滑に機能させるためにヨーク家のリチャード2世が国王の代理となる役職、護国卿につきました。ここでようやく主要なポストについたヨーク家でしたが、その後ヘンリー6世が正気に戻り、再び政治の実験を握るようになるのです。同時にリチャード2世は護国卿を解任されてしまいました。

4 ヨーク家リチャード2世とランカスター家マーガレット

しかし、リチャード2世は立ち上がりました。ウォリック伯、ソールズベリ伯、ネヴィル家などを味方に率いてロンドン北西に位置するセント・オールバンズ(St Albans)でサマセット公率いるヘンリー6世の軍に襲いかかったのです。1455年セント・オールバンズの戦いです。これにより、ランカスター派は敗北し、サマセット公は戦死、ヘンリー6世はリチャード2世に捕らえられてしまいます。

けれど、残された王妃マーガレットは強かったのです。ランカスター家と息子の王位を守るため、ランカスター家とヨーク家の戦いが始まったのです。

しかしそんな中、囚われの身であるヘンリー6世は、彼の死後はヨーク家に王位を譲ることを約束してしまいます。

それでもマーガレットは巻き返しを図り、スコットランドの軍と協定を結びヨーク派に立ち向かいました。戦場はイングランド北部のヨークシャーに位置するウェイクフィールドでした。そして、見事ランカスター派は勝利をおさめたのです。

ヨーク家のリチャード2世と次男のラトランド伯エドムンドはこの戦いにより命を落としてしまいます。この時、マーガレットは、リチャード2世の遺体に紙で作った王冠を載せ、城門でさらしものにしたと言われています。

しかし、薔薇戦争はまだまだ終わりません。

5 ヨーク家 エドワード4世

今度はヨーク家リチャード2世の長男エドワードが、ウォリック伯と手を組んで立ち上がりました。このエドワードは190cm以上もの長身の美男子、好色で浮名をあげる男でした。そのことが、後にヨーク家の命取りとなってしまうのですが。

ヨーク家リチャード2世を破ったマーガレット率いるランカスター家の軍は、ロンドンへ入城すべく南下します。途中再びセントオールバンズでヨーク派の軍と対立しますが、そこでもランカスター派が勝利します。

しかし、ランカスター派は南下の途上、町民らからの略奪を繰り返すと言う愚行から反感を買い、ロンドンへの入城を拒まれてしまいます。その間に、エドワードとウォリック伯はロンドンへ入り、ついにヨーク家がエドワード4世として即位してしまうのです。

ヘンリー6世は再び捕らえられ、ロンドン塔に幽閉されてしまいます。

王朝が交代し、ようやく平和が訪れるかに見えましたが、薔薇戦争はまだ終わりません。

6 ヨーク派 ウォリック伯(リチャード・ネヴィル)

エドワード4世と共に戦ったウォリック伯(リチャード・ネヴィル)が、ヨーク家のエドワード4世とフランス王族の娘との縁談を進めていた中、エドワード4世は敵対するランカスター派で未亡人となっていたエリザベス・ウッドヴィルと結婚をしてしまったのです。

領地を奪われ貧困に窮していたエリザベスが、エドワード4世に謁見して相談した際にエドワード4世が彼女に惹かれてしまったと言われています。それから、ウッドヴィル家の一族は有力貴族らとの縁談などで勢力を強めていくのです。こうしてウォリック伯のエドワード4世への反感が募っていきます。

ウォリック伯は、エドワード4世の弟クラレンス公ジョージと長女イザベルと結婚させて味方につけ、ついにクーデターを起こし成功します。

一度はエドワード4世を廃位させ幽閉しましたが、結局国王なしでは治世が回らず、エドワード4世を戻すことになってしまいました。国王側の反感をかってしまったウォリック伯とジョージは、フランスのルイ11世の元へ逃避し庇護を求めました。そして、そこでかつての宿敵ヘンリー6世の王妃マーガレットに遭遇したのです。マーガレットもまた、ロンドンでの入城を拒まれた後、フランスに亡命していたのです。

ウォリック伯はルイ11世の求めに応じ、マーガレットにひざまずいて赦しを乞い、次女のアンをマーガレットの息子エドワードに嫁がせ、同時にヘンリー6世を復位させることを約束しました。そのことでクラレンス公ジョージは自身に王位が回ってこないことを悟り、ウォリック伯から離れ、兄であるエドワード4世に寝返ることとなってしまうのです。

7 ランカスター朝の終わり

フランス側の思惑では、対立するブルゴーニュ公国との戦いにランカスター家のヘンリー6世率いるイングランドを味方につけようとしていました。それに対して、ブルゴーニュ公国にはヨーク家のエドワード4世、弟のグロスター公リチャードが味方につきました。そして、クラレンス公ジョージもまた兄であるエドワード4世に寝返ったのです。

マーガレットと息子がフランスから援軍を率いてランカスター側についたウォリック伯に加勢するはずだったのですが、悪天候のため海を渡れず、ウォリック伯は形勢不利となりました。そして、エドワード4世側の軍に捕まり、討ち死にしてしまうのです。

遅れてイングランドに到着したマーガレットと息子エドワードの軍も、その後テュークスベリーの戦いでエドワード4世の軍に捕まり、息子エドワードはそこで討ち取られてしまいました。マーガレットは捕まり捕虜となった後、ルイ11世が身代金を払うことでフランスへ帰国し、53歳でなくなるまで7年間をフランスで過ごすことになりました。

そして、ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉され、すぐに亡くなってしまいます。暗殺されたのか鬱病で亡くなったのかは正式な記録は残されていません。こうしてランカスター朝はそこで途絶えてしまったのです。1471年の出来事でした。

しかし、まだ薔薇戦争は続きます。

8 ヨーク家 エドワード5世とリチャード3世

さて、ルイ11世の説得によりヘンリー6世の息子エドワードに嫁いでいたウォリック伯の次女アンは、夫がヨーク派によって討ち取られてしまった後、エドワード4世の弟グロスター公リチャードと再婚をしました。

同じくウォリック伯の長女イザベルと結婚していたエドワード4世の弟(グロスター公の兄)クラレンス公ジョージは、勝ち取ったウォリック伯の領地を巡ってリチャードと争っていました。

しかしジョージの妻イザベルが1476年亡くなると、クラレンス公ジョージはウォリック伯の領地をめぐる相続争いに敗れてしまい、エドワード4世への反逆の嫌疑をかけられ幽閉されてしまいます。そして、1478年ジョージは28歳で処刑されてしまったのです。

その後、エドワード4世の治世は1483年40歳で亡くなるまで続きます。

そして、息子のエドワード5世が12歳で継承し、即位するはずでした。しかし、ここでエドワード4世の弟、広大なウォリック伯の領地を相続して実力をつけいていたグロスター公リチャードが登場するのです。

リチャードは護国卿として実権を握ることになっていましたが、エドワード4世の王妃エリザベス・ウッドヴィル一族が勢力を伸ばしてきていたため対立し、ついにクーデターを起こします。ウッドヴィル一派は捕らえられ、さらに、エドワード5世もロンドン塔に幽閉されてしまいます。

そしてその頃、エドワード4世がエリザベス・ウッドヴィルと結婚をする前に、すでに他の女性と結婚していたという話が浮上し、二人の息子は庶子であるという判断が下されてしまいます。そこで、ついにこのグロスター公リチャードが、リチャード3世として即位することとなったのです。その後、幽閉されていた二人の少年、エドワード5世と弟は姿を消してしまい、暗殺されたと言われています。

薔薇戦争はここで終わりではありません。最後の巻き返しが起こるのです。

9 ヘンリー・テューダーの登場

ここで少し話を前にさかのぼりましょう。

以前ランカスター朝の優秀な王であるヘンリー5世が亡くなった後、フランス王族から嫁いできていた若き未亡人のキャサリンが、納戸秘書官であったオーウェン・テューダーと駆け落ち状態で結婚をしたとお伝えしました。そして、ここでついにそのオーウェン・テューダーとの間の孫、ヘンリー・テューダーが登場するのです。

ヘンリー・テューダーの父親は、キャサリンとオーウェン・テューダーの長男エドマンド。そして母親のマーガレット・ボーフォートは、ランカスター家の血筋の出身でした。つまり、ヘンリーはランカスターの血をひく最後の青年として残っていたのです。ヨーク家のエドワード4世が政権を握っている間は、ヨーク派から身を守るために、叔父ジャスパーと共にフランスのブルターニュでかくまわれていたのです。

そしてエドワード4世死後、ヘンリーの母であるマーガレットが、ランカスターの血を引くヘンリーを王位につけるべく動き、王太子妃となったエリザベス(ウッドヴィル)に接近しました。

まず、リチャード3世に代わってヘンリーを王にするためには、継承権の正当性を強める必要がありました。そして、ヘンリーと、エドワード4世とエリザベスの間の長女エリザベス・オブ・ヨークを婚約させたのです。エドワード5世と弟は行方不明となっていたため(暗殺されていたため)、このエリザベスが継承権を握っていたのです。

こうしてついに、ヘンリー・テューダーは叔父ジャスパーとフランスの援軍を伴ってウェールズに上陸し、イングランドへと進みました。

ついに、1485年ボズワースの戦いが勃発します。軍の数ではリチャード3世が優勢でしたが、中立を保っていた有力貴族らがヘンリー側につき、リチャード3世の戦況が不利となったのです。そんな中で、リチャード3世はヘンリーの軍に果敢に突き進んでいきました。しかし、そこでヘンリー側の軍に包囲され、討ち取られてしまったのです。

30年にも及んだ薔薇戦争はここでようやく終結しました。

それから、ヘンリー・テューダーがヘンリー7世として即位し、テューダー朝が始まったのです。

婚約していたエリザベス・オブ・ヨークとウェストミンスター寺院で結婚式をあげ、エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚を無効として子供たちを庶子であるとしていた議会の決議もくつがえしました。

こうして、長きに渡ったヨーク家とランカスター家の対立は終結しました。そして、ランカスター家の赤薔薇とヨーク家の白薔薇の記章を統合させ、テューダー・ローズの花紋がここで誕生したのです。

テューダー・ローズに関する下記記事もどうぞご参照ください。

Die Tudor- und die Elizabeth-Ära – Zeitalter der britischen Geschichte – Teil 1


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Mowary
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