イギリス

旅がもっと面白くなる!イギリス編ー1 ロンドンの大英博物館ってそもそもどんなミュージアム?

もわりー

ロンドンを訪れたらどこへ行きますか?

ビッグベンやテムズ川にかかるタワーブリッジの写真を撮って、バッキンガム宮殿やウィンザー城などロイヤルにまつわる場所にも行きたいですよね。

それから、ロンドンと聞くと大英博物館を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか? 
ツアーでロンドンを訪れると大英博物館の入場が組み込まれていることも多いですね。

では、大英博物館とはいったいどんなところなのでしょう。

まずお伝えしたいことは、大英博物館は英国に関する展示がされている場所ではないということです。

大英博物館は、エジプト、ギリシャなどの古代文明やアメリカ、アジアなど世界中、古代から近代までのあらゆるコレクションが集められているところなのです。

今回は、大英博物館の誕生や収集物の経緯などを調べながら、大英博物館の魅力について探っていきましょう。

1 大英博物館はこうして誕生した

「英国博物館」ではなく「大英博物館」

「大英博物館」と日本語訳されているこのミュージアムは、BRITISH MUSEUM ブリティッシュ ミュージアムという名前です。Britshとは、「英国の」 という日本語訳になるはずなのに、どうして「大英」なのでしょうか?

では、「大英」と聞くとどんな言葉が連想されますか?
それはやはり、「大英帝国」ではないでしょうか。

英国は17世紀頃から世界へ目を向けて発展していき、ヴィクトリア女王が統治する19世紀半ば頃から20世紀初めころにかけて、植民地化政策で領土を拡大し「大英帝国」と呼ばれる黄金時代を築きました。その規模は全世界の4分の一を手中に収め、世界史上でも最大の面積を誇っていたと言われています。

大英博物館は、この「大英帝国」時代に収集された展示物が多くを占めているため、「英国博物館」ではなく、「大英博物館」という名前で呼ばれているということなのでしょうか。

けれど、この博物館のはじまりは、植民地時代の収集物を展示するためのものではありませんでした。

ハンス・スローン卿の遺言からはじまった

発端は、1753年医師であったハンス・スローン卿が92歳で亡くなった時に遺された遺書にあります。

彼は医師であると同時に、大変な蒐集家として有名でした。彼が亡くなった時には、化石、標本、骨董品、写本、貨幣などあわせてなんと8万点近くもの収集物があったのです。スローン卿はそれらすべてを国に寄贈し、対価としてそれらの保管場所の設置と遺族に2万ポンドの支払いを求めました。

国はその必要経費を確保するため、当時宝くじを売って資金を得たと言われています。そして、スローン卿の遺品に加え、すでに政府が所有していた中世の写本や蔵書のコレクションなども合わせて展示をしようとプロジェクトが組まれ、モンタギュー公爵の私邸を買い取りました。

こうして1959年British Museum 大英博物館が誕生したのです。

では、自身の収集物を買い取らせ、政府を動かしたハンス・スローン卿とはいったい何者なのでしょう。

彼は植物学や薬学を学んだ後、医師として当時英国の植民地下にあったジャマイカへ赴いたこともありました。その後、アン女王・ジョージ1世・ジョージ2世という3代の君主をはじめ、主に上流階級の人々を患者に持つ医師として活躍しました。
ニュートンやダーウィンが付与された数学や医学などの発展に貢献した人物に与えられる王立協会のメンバーともなり、後にニュートンの後をついで会長にまで就任しています。

ロンドンのチェルシー地区にあるスローン・スクエアの名前は、このハンス・スローン卿の名前に由来しているのです。

拡大した大英博物館

スローン卿の蒐集物から始まった大英博物館は、その後も個人の収集家の寄贈品などが増え、モンタギューハウスでは手狭になっていきました。
収蔵品は大英帝国の植民地にあった場所から発掘された文化遺産なども多かったため、大英帝国の領土が拡大されるにつれ増えていったのです。

そして、自然史に関わる展示物を専門に集めた自然史博物館をサウスケンジントン地区にオープンし、モンタギューハウスから移動させました。ハンス・スローン卿の収集物の多くはこちらの自然史博物館へ移されています。

また、いくつかのイギリスの国立図書館が統合され、図書部門として大英博物館の敷地内に大英図書館が設立されました。その後書庫の保管場所不足が問題となり、1998年にセントパンクラス地区に大英図書館が新しく建設され、図書部門が移動しました。

図書館が移動した後の大英博物館には円形閲覧室のみが残され、2000年からミュージアムショップや博物館内のエリアをつなぐ通路となっているグレート・コートとしてリニューアルしました。このグレート・コートは、ガラスの天井張りの大きな広場となっており、大英博物館のエントランスホールとして印象的な、モダンなデザインとなっています。

グレートコート

2 大英博物館のコレクション

大英博物館のコレクションは、今や800万点にも及ぶと言われています。これだけ大規模な博物館をじっくり見て回ろうと思うと、相当な時間がかかる上に体力も必要ですね。

ではどんなものが展示されているのか、それらがどうやって大英博物館にやってきたのかということに焦点をあてて、ザックリと見ていきましょう。

エジプト

エジプトと聞くと、思い浮かべる言葉は古代エジプト文明ですよね。
紀元前3000年頃からナイル川流域に王が君臨する統一国家が築かれ、王の墓であるピラミッド、象形文字、暦など高度な文明が発達していたことで知られています。

18世紀の終わり、そんなエジプトにナポレオンが遠征しました。フランス軍はそこでエジプト文明の遺跡を発見しましたが、持ち帰ることができずに撤退しました。そして、その後イギリスがエジプトへ進出し、彼らは遺跡物をイギリスの大英博物館へ持ち帰ったのです。

それらの数々の貴重な収蔵品は、大英博物館の中でも見逃すことのできない重要な展示となっています。

ロゼッタストーンは、その後象形文字が解読されエジプト文明を解き明かすことに大きく貢献したと言われています。

ロゼッタストーン

ラムセス2世の胸像は、大英博物館の中のエジプトの展示物の中では最大の大きさと言われており、重さは約7トンにもおよびます。これほど大きな像を運び、博物館内に展示するためには、時間をかけて相当の考察がなされたということです。

ラムセス2世胸像

ギリシャ

ギリシャ神話に登場する女神アテーナーを祀っているアクロポリスの丘に建てられたパルテノン神殿は、ギリシャのシンボルともなっています。紀元前5世紀に作られた神殿は、美しい装飾彫刻も合わせてギリシャ美術の傑作と言われています。

その後、古代ギリシャが衰退しローマ帝国の時代になると、キリスト教の力が強くなり聖母マリア聖堂と呼ばれ、さらにそれからオスマントルコの支配下に置かれると、イスラム教のモスクとして利用されました。1687年には戦争によって爆破され、20世紀に修復されて今の姿になりました。

そのように長い年月、いくつもの役割を果たしながらギリシャで優美な姿を誇っていた神殿は、18世紀頃ヨーロッパの人々の間でも関心が持たれるようになっていました。

オスマン帝国駐在の特命全権大使としてコンスタンティノープル(後のイスタンブール)に赴任していたイギリス人の外交官エルギン伯爵トマス・ブルースもその1人でした。彼はオスマン帝国のスルタンから許可を得て、当時オスマン帝国領であったギリシャのパルテノン神殿の調査をはじめました。そして、多くの彫刻をイギリスへ持ち帰ったのです。その後1816年にエルギン伯爵はこれをイギリス政府へ寄贈し、大英博物館で展示されることとなりました。

その彫刻群は、エルギン・マーブルと呼ばれ今でもこの大英博物館に展示されています。

コロナ禍の観光客が少ない時期、熱心に模写をしている人の姿が印象的でした

パルテノン神殿をイメージした展示は大いに見応えがありますが、このエルギン伯の行為を略奪と批判する声もあり、ギリシャ政府よりエルギン・マーブルの返還を求める要請もありました。しかし、イギリス側はこれを拒否し、今に至っています。

中東ーアッシリア

現在のイラク北部の都市モースルの近くに、かつてアッシリア帝国が築かれていました。紀元前600年代には王アッシュール・バニパルのもと、首都ニネヴェを中心に最盛期を迎えました。

その古代文明の発掘にもまた、イギリス人は熱狂したのです。

1840年代、当時オスマン帝国のコンスタンティノープル(後のイスタンブール)でイギリス大使のアシスタントをしていたオースティン・ヘンリー・レヤードにより、モースル地区で大規模な発掘調査が行われました。そこで、レヤードはアッシュール・バニパルの時代のライオンのレリーフや人面有翼雄牛像など偉大な遺跡を発見しました。イギリス大使はオスマン帝国より、これらの一部を英国へ運び出す許可を取りました。そして、大英博物館へと運ばれたのです。

今でもこのアッシリアのニネヴェに関するコレクションは、大英博物館の中でもその規模の大きさから圧倒的な存在感を誇っており、見どころのひとつとなっています。

人面有翼雄牛像

これら古代文明遺跡のほか、大英博物館ではインド・中国・日本などのアジア、アメリカ、ヨーロッパに関するコレクションも展示されています。

展示物についてじっくり解説を聞きたい方は、旅行会社などが催行している日本語ガイドによる大英博物館ツアーに参加してみてはいかがでしょうか。

3 大英博物館の意義は?

こうして大英博物館の誕生からコレクションの数々を調べていると、正直なところ様々な感情がわき起こってきました。

他国の偉大な文明の遺跡をイギリスに持ち帰るだなんて、やはりそれは盗品行為ではないかという嫌悪の感情もありました。

けれど、この大英博物館に収められている展示品は、とにかく素晴らしい収集品であるということは誰もが認める事実なのです。

人類史上、世界各地で人間の手により作られた立派な作品を、少しでも多くの人たちに見てもらいたいという純粋な畏敬の思いによって集められたものばかりなのではないか、そんな気持ちが強く残りました。

だからこそ、この博物館はこれだけ貴重な収蔵品が揃っていても入場料が無料なのです。

ロゼッタストーンの解析は大英博物館で展示されたからこそ進められ、パルテノン神殿は爆破後にイギリスの大英博物館に収められたからこそ、更なる盗難や被害を免れ立派な彫刻美として後世まで残すことができているという事実もあります。

世界に領土を拡大した「大英帝国」が集めた、世界中の立派な作品を所有する偉大な博物館、だからこそ、まさに「大英博物館」という名がふさわしいのだと今は思います。

ちょっと素敵な発見をした時に、友人に見せて自慢したい気持ちと感動を分かち合いたいという気持ちが起こりませんか? 古今東西の素晴らしい作品を世界中の人々に見てもらいたい、感動を分かち合いたい、そして大英帝国と呼ばれた偉大な英国を誇りたい、そんな意図が大英博物館にはあるのではないでしょうか。

ロンドンを訪れたら、ちょっと、いえ、かなり良いものが集まっている大英博物館へ足を運んで、大英帝国の偉大さと世界文明の素晴らしさに触れてみるのも素敵ですね。

ABOUT ME
もわりー
もわりー
日本→ウィーン15年→現在ロンドン在住です。
書くこと・なにかをつくり出すことが好きです。

記事を読んでいただいた方をステキな旅へと案内できたら、そんな思いで書いていきます。

どうぞよろしくお願いします。
記事URLをコピーしました