<前編>英国作家 ジェーン・オースティン ー 6つの作品が教えてくれる彼女の人生

もわりー

イギリスで暮らしていれば、ジェーン・オースティンという名前を知らない人はあまりいないのではないでしょうか。

ジェーン・オースティンは、肖像画が10ポンド紙幣の裏面に描かれるほど偉大な人物なのです。

きっと、当たり前です、彼女のことを知らない人なんていませんよ、と真っ向から言う人もいるでしょう。“Janeite”(ジェーンの熱狂的なファン)という言葉があるほど、彼女はイギリス文学を語る上で欠かすことのできない重要な作家なのです。

私も、恐縮ですが自らJaneiteの1人と名乗らせていただきます。
はい、ジェーン・オースティンの作品にすっかり魅了されてしまったのです。

今回は、すでにジェーン・オースティンの魅力を知っている人はもちろん、彼女のことを知らない人にも、 ステキなジェーン・オースティンの世界を堪能していただけることを願って、書いていきます。

彼女の作品を通して、彼女の人生について一緒に見ていきましょう。

1 ジェーン・オースティンってどんな人?

ジェーン・オースティンは、1775年12月16日 イギリス南部ハンプシャー州のスティーブントンSteventonで生まれました。

父親のジョージ・オースティンは牧師、当時決して裕福といえる生活ではありませんでした。
ジェーンはそんな素朴な田舎で、兄弟たちと姉のカサンドラと一緒に育ちました。

家には父親のライブラリーがありました。
ジェーンはそこでたくさんの本を読み、子供の頃から物語を書くようになりました。

ジェーン・オースティンが書いた出版されている小説は、6作あります。
中でもとりわけ有名な作品は、『高慢と偏見 Pride and Prejudice』でしょう。
ドラマや映画にもなっているので、見たことがある人も多いかもしれません。

ジェーンにとって、「書く」ということは、生きるために本当に必要なことだったのです。

彼女は当時のイギリス社会で、1人の若い女性としての人生を楽しみ、そして苦しみ、結婚せずに生きることを選択しました。

ジェーン・オースティンは41歳という若さでこの世を去りました。
あまりにも短い人生です。

***

私がジェーン・オースティンの人生について知っていった中で、彼女は家族愛に恵まれていたのだなと思いました。

ジェーンの中に作家の才能を見出して、応援してくれた父親のジョージ
ジェーンの父親の死後、母親とジェーン、カサンドラに経済的援助をしてくれた兄弟たち
そして3人一緒に暮らせる家を提供してくれた兄のエドワード
ジェーンの作品を出版すべく力を貸してくれた兄のヘンリー

そしてなにより、ジェーンにとっての第一の親友であり姉であったカサンドラとの関係は、ジェーンにとってかけがえのない存在でした。

カサンドラは、ジェーンが生前、カサンドラ宛ても含め家族、親戚、友人に書いた何千通もの手紙を、ジェーンの死から26年経った後、燃やしました

そして、161通の手紙だけが残されたのです。
その手紙により、現代の私たちはジェーン・オースティンの生活を知ることができたのです。

カサンドラはなぜ、そんな貴重なジェーンの手紙をほとんど破棄してしまったのでしょう。
カサンドラの行為には批判もありました。

専門家たちによると、個人の感情を吐露した手紙が後世まで残されることにより、ジェーンのプライバシーがさらされることを避けたかった、だから、年老いたカサンドラはジェーンを守ろうとして、時間をかけて大切な手紙を燃やしたと言われています。
その見解には納得がいきます。

ジェーンのレガシーを後世に残そうと、何千通もの手紙の中から161通を選択したカサンドラ、彼女もまた並大抵の人物ではなかったことがうかがえます。

***

2025年は、ジェーン・オースティンの生誕250周年です。

BBCでも特番が組まれ、ジェーン・オースティンについての番組が放送されていました。また、ロンドンに住んでいると、ジェーン・オースティンについて描かれたたくさんの書物を読むことができます。
ジェーンのファンの1人として、そのような映像や書物に触れられることは、大変幸せなことです。

私はそれらの映像・書物を通して、ジェーン・オースティンについて知ることができました。そして、作品には、当時の英国社会に生きる彼女の想い、人生がこめられていることを知りました。

彼女の人生を追いながら、彼女の執筆生活・作品が誕生するに至る経緯を綴っていきたいと思います。

2 19〜25歳 (1795-1800年)3つの作品を執筆した若きジェーン・オースティン

ジェーン・オースティンの19歳の誕生日に、父親のジョージは持ち運びができる小型のデスク(portable writing desk)をプレゼントしました。ジェーンの父親は、彼女の作家になる夢を身近で応援してくれる、一番のサポーターでした。

そして、ジェーン・オースティン6作品の1作目が執筆されたのです。

1)” Sense and Sensibility “ 『分別と多感』

当時のタイトルは、“Elinor and Marianne” 『エリノアとマリアンヌ』でした。

これは後に、『Sense and Sensibility  分別と多感』として出版されることになります。
けれどそれは、まだまだ先の話になります。

エリノアとマリアンヌ姉妹それぞれが、男性と出会い、そしてまわりの人たちに振り回され、姉妹で励まし合い、紆余曲折を経てストーリーの最後を迎えます。

姉のエリノアは物分かりがよく分別がある性格、マリアンヌは感情的で多感な性格、それぞれが織りなすストーリーに魅了されます。

恋愛のライバルが登場したり、想像しなかった展開があったりと、人間同士が織りなすドラマが秀逸です。

この作品は、『Sense and Sensibility』というタイトルで1995年に映画化されており、エリノアをエマ・トンプソン、マリアンヌをケイト・ウィンスレットが演じています。
日本語のタイトルは、『いつか晴れた日に』となっています。

2)ジェーン・オースティン自身の恋愛

エリノアとマリアンヌのストーリーを書き上げた後、1795年12月から1796年1月 クリスマスとニューイヤーシーズンに、ジェーン・オースティンは1人の男性と出会いました。
彼の名は、Tom Lefroy トム・ルフロイ、アイルランド出身の男性でした。トムは、ジェーンの家の近くに住む叔父のところを訪れていたのです。

ジェーン・オースティンは、トム・ルフロイとのことをカサンドラに手紙で知らせました。
当時、カサンドラは婚約者のところを訪ねており、ジェーンとは一緒にいなかったのです。

ジェーンとトムは相思相愛になりましたが、別れなければならなかったのです。
なぜなら、ジェーンの家が裕福ではなかったからです。

ジェーンはトムとの別れを、カサンドラへの手紙でこのように綴りました。

“My tears flow as I write, at the melancholy idea”
この悲しい想いに、書きながらも涙が流れる

このジェーン・オースティンとトム・ルフロイとの話も、2007年に映画化されています。

『Becoming Jane 』
日本語のタイトルは、『ジェイン・オースティン秘められた恋』

ジェーン・オースティンを、アン・ハサウェイが演じています。

映画の中では、創作された内容や誇張されていると思われるところもありましたが、ジェーン・オースティン自身のストーリーが描かれた映画ということで、おすすめです。

U-NEXTで動画配信されています。

ジェーン・オースティンは、トム・レフロイとの失恋の後、2作目を書き上げました。
そして、その作品こそ、彼女が作家として名を馳せる代表作となるのです。

英語のタイトル、” Becoming Jane ”  は、まさに ”ジェーンになる” 経験を描いた素晴らしいタイトルだと思います。

ジェーンとトムがどのような会話をし、どのような恋愛をしていたのかは、誰も真相は分かりません。けれど、この映画のなかのトムの第一印象は、ジェーン・オースティンのもっとも有名な作品である2作目に登場する人物と非常に似ているのです。

3)  “Pride and prejudice”  『高慢と偏見』

当時の作品のタイトルは “First Impression” 『第一印象』でした。

出会った時の第一印象が悪かったのに、次第に惹かれて好きになってしまったという経験はありませんか?

この小説の主人公、リジーことエリザベスも、Mrダーシーに対する第一印象は最悪でした。
プライドが高く、高慢な態度。けれど、2人の関係は変わっていくのです。

リジーは、裕福とはいえない田舎の家庭で、5人姉妹の2番目として育ちます。
姉のジェーンとは仲良しです。まるで、カサンドラとジェーンのように。

ある日、近所のお屋敷に裕福なビングリー家が引越してきます。そして、舞踏会でビングリー家とその友人のMrダーシーと知り合います。

ジェーンとエリザベスの恋愛を中心に、ユーモア溢れる登場人物も交えて、当時のイギリス社会を背景に繰り広げられるストーリーは、あっという間にジェーン・オースティンの世界に引き込まれてしまいます。

後に『 Pride and Prejudice 高慢と偏見』というタイトルで出版されることになります。

映画化・ドラマ化もされ、イギリス文学の代表作となっているこの作品は、何度読んでも、何度見ても楽しめる世界なのです。

2005年には、キーラ・ナイツレイがエリザベスを演じて映画化されています。
透き通るようなピアノの音楽も素敵です。

そして、その映画の前に、1995年BBCで6話からなるドラマも放送されています。
コリン・ファース演じるMrダーシーは、たくさんの女性を虜にしたことでしょう笑

映画はストーリーが2時間に収められていますが、BBCのドラマは6話もあるので、小説により忠実な内容のように感じます。

今ならAmazonプライムビデオで、無料で視聴することができますよ!

ドラマのオープニングでは、映画とは違って軽快でエレガントな音楽が流れ、こちらもまた、心が前向きになれるような素敵な曲なのです.。

この小説を読んだ時、クライマックスの心躍る展開が、会話文ではなく、すべてナレーションで書かれていることに驚きました。それでも、心に刺さるような言葉が交わされているように頭の中に情景が入ってきました。そこがジェーン・オースティンの素晴らしさの一つなのですよね。

4)出版社へのアプローチ

この“First Impression”を読んだ父親のジョージは、ジェーンの才能を確信しました。
そして、出版社に原稿を送ることにしたのです。

ジェーンも期待に胸を躍らせて、出版社からの返事を待ちました。

しかし、戻ってきた返事は、出版拒否の知らせでした。

当時新しい印刷技術が導入され、文学作品も多く誕生しており、出版業界は大盛況でした。父親がコンタクトをした出版社 Thomas Cadell も、ロンドンの有名作品を多く出版している会社でした。

おそらく、ジェーン・オースティンという無名作家の作品は、その時読まれてもいなかったのだと思われます。

けれど、自信があっただけに、ジェーンは落胆しました。

そしてその頃、悲しい出来事が起こります。

姉のカサンドラの婚約者が、西インド諸島への巡業に出かけ、病気に感染して亡くなったのです。

もう二度と恋愛はしないと悲嘆にくれるカサンドラを励ましながら、ジェーン自身もその時、生涯カサンドラと一緒に過ごし、作家として生きていくことを考えはじめていたのかもしれません。

そして、再び執筆活動に打ち込み、3作目が誕生しました。

5) ” Northanger Abbey ” 『ノーサンガー・アビー』

この作品の当時のタイトルは、 “Susan” 『スーザン』でした。

『ノーサンガー・アビー』に登場する主人公の名前はキャサリンです。
おそらく、当時はスーザンという名前の主人公で描かれていたのだと思われます。

その主人公キャサリンは、牧師の家に生まれた読書好きな少女で、当時流行っていたゴシックフィクションに夢中になっていました。

舞踏会で知り合った男性ヘンリーの家、ノーサンガー・アビーに招待されたキャサリンは、ゴシックの物語に登場するようなミステリーを妄想してしまい、失態を演じてしまうという、お茶目なところがある女性です。

このキャサリンも、ジェーン・オースティン自身に似ていると言われています。

この作品が出版されるのは、まだまだ先、ジェーンが亡くなった後になります。

私の想像ですが、当時の『スーザン』から『ノーサンガー・アビー』に至るまでどのような改編がなされたのかわかりませんが、キャサリンが過ごしたバースでのくだりは、後に書き直されたのではないかと思います。

なぜなら、ジェーン・オースティン自身がその後、バースで暮らすことになるからです。

3 20代前半に書かれた3作品に込められたジェーン・オースティンの暮らし・社会

“Sense and Sensibility”『分別と多感』の物語は、ダッシュウッド家の領主である父親が、死に際のベッドで長男に、母親と妹たちに財産を分け与えることを約束してほしいと訴えるところから始まります。

“Pride and Prejudice”『高慢と偏見』では、近所のお屋敷ネザーフィールドに、お金持ちの独身男性が引っ越してきたということで、5人の娘を持つベネット家の母親が、夫のベネット氏に挨拶に行って懇意になるように説得しているところから始まります。

どちらも現代の私たちから見ると、奇妙な始まりに見えます。

映画化された”Pride and Prejudice”では、冒頭で、ハンサムの独身男性が近所に引っ越してきた!とベネット家の女性たちが大はしゃぎをし、目を輝かせて話しています。
まるで、結婚相手の男性を見つけることに必死になっている女性たちの物語のようです。

けれど、これらの始まりこそが、20代前半のジェーン・オースティンの人生の根幹にあるテーマだったのです。

当時のイギリスでは、女性は相続権を持たず、すべて男性に相続されるという決まりがありました。

そのため、女性はなるべくお金持ちの男性と結婚しなければなりませんでした。

そうでなければ、一家の主人である父親が亡くなった後、家を含めた財産すべてを失ってしまうからなのです。

また女性はその代わり、結婚する際に花嫁の父親が持参金を用意するという習わしがありました。これは、将来相続できる可能性のある財産の前払いと見なされていました。そして、結婚後は、夫が妻と子供達を養うことになっていたのです。

そのため、貧しい女性は持参金が少ないということで、結婚を断られることもあったのです。

20歳のジェーン・オースティンがトム・レフロイと結ばれなかった理由は、ジェーンの家が裕福ではなく、高額な持参金が期待できなかったからでした。

トムには兄弟がたくさんおり、トムは叔父から援助されて教育を受けていた状態でした。持参金の少ない女性との結婚は、トムの将来、レフロイ家の将来を貧しくすると見なされたのです。

『ノーサンガー・アビー』では、キャサリンの家が裕福ではないことを知ったノーサンガー・アビーの主人により、結婚を反対されることが描かれています。

そのような社会に生きる20代前半のジェーン・オースティンにとって、家族から、そして世間から求められることは、ただ、結婚することだったのです。

当時男女が出会う場所として、舞踏会が催されていました。

舞踏会では、男性から女性にダンスを申し込みます。女性から申し込むことはできません。

『高慢と偏見』では、女性がいるにも関わらず、ダンスを申し込まないMrダーシーの態度が、非常に高慢で印象を悪くしたのです。

『ノーサンガー・アビー』でも、バースで連日舞踏会が催される様子が描かれています。バースは当時まさに、社交の場だったのです。

ジェーン・オースティンも、舞踏会に出席して、ダンスを楽しんでいました。

一般的に思われているように、ユーモアのあるジェーン・オースティンは、『高慢と偏見』のエリザベスのような人物だったのだと私も思います。

未婚のまま父親を失ったらどうやって生きていくのか、きっとこのことは、20代前半のジェーンの頭の片隅にも常にあった課題なのだと思います。だからこそ、小説の背景にそのことが必ず描かれていたのです。

けれど、まだそれは深刻な問題ではなく、小説を書いていきたいという思いと、舞踏会でもしかしたら素敵な男性に巡り会えるかもしれないという期待の両方を抱きながら、日々の生活を楽しんでいたのだと思われます。

ジェーン・オースティンのこの頃の小説は、自身の体験にもとづいた視点で、鋭い観察力と豊かな感受性が作品に現れていました。

しかし、そんなジェーン・オースティンにも、真剣に人生の選択を迫られる時がやってくるのです。

つづく

<中編>英国作家 ジェーン・オースティン ー 6つの作品が教えてくれる彼女の人生
<後編> 英国作家 ジェーン・オースティン ー 6つの作品が教えてくれる彼女の人生

ABOUT ME
もわりー
もわりー
日本→ウィーン15年→現在ロンドン在住です。
書くこと・なにかをつくり出すことが好きです。

記事を読んでいただいた方をステキな旅へと案内できたら、そんな思いで書いていきます。

どうぞよろしくお願いします。
記事URLをコピーしました