6) ケネディ大統領夫人ジャクリーン ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 2
『ザ・クラウン』を見て学んだこと、気になったことをつづる記事。今回は、エリザベス女王と関わった人物としてジャクリーン夫人とのお話を紹介します。
『ザ・クラウン』シーズン2第8話では、ケネディ大統領夫妻がバッキンガム宮殿を訪問します。ジャクリーン夫人とエリザベス女王の関係、そしてケネディ大統領の暗殺までが描かれ、大変見どころのあるストーリーとなっています。
1 ケネディ大統領夫妻 バッキンガム宮殿訪問
1961年6月5日、アメリカのケネディ大統領夫妻がバッキンガム宮殿を訪問しました。英国の前に訪問していたフランスでのジャクリーン夫人の高評価ぶりがテレビや新聞で報道されると、フィリップ殿下までもがジャクリーン夫人の訪問を待ち焦がれるような存在となっていました。
そして晩餐の後、エリザベス女王は自らジャクリーン夫人をバッキンガム宮殿ツアーへと案内します。同世代の女性同士として話をし、エリザベス女王はジャクリーン夫人へ好意を抱くのです。
しかしその後、ジャクリーン夫人が、バッキンガム宮殿は時代錯誤で、女王は格別取り立てるところのない中年女性だというようなことを別のパーティーで話していたと妹のマーガレットから聞いてしまうのです。
ジャクリーン夫人のこの発言は事実だったのかどうか、非常に興味をかき立てられました。どうやら、ジャクリーン夫人はバッキンガム宮殿の調度品、エリザベス女王のドレスや髪型に対して、先進的なイメージを持たなかったということは、後に記事でふれられていたようです。
若くしてファーストレディとなり、ホワイトハウスのリフォームに力を入れていたジャクリーン夫人にとって、伝統を守る英国文化が洗練されたものに見えなかったということは事実なのかもしれませんね。
ジャクリーン夫人からの批判を聞き、ドラマの中ではその後、エリザベス女王が対抗心を燃やしたかのように大活躍する場面が展開されます。
当時イギリス連邦(コモンウェルス)に属するガーナが、冷戦の最中東欧諸国と接近し、ソ連の配下に入りそうになっていました。そこで、エリザベス女王は英国との良好な関係を保つために、マクミラン首相率いる政府の反対を押し切り、フィリップ殿下と共にガーナに赴くのです。
はじめは、エリザベス女王への好意的な態度は感じられず、ガーナ訪問は失敗に終わるかに見えました。しかし、エリザベス女王は意を決してガーナのンクルマ大統領とダンスを踊ります。そして、ガーナと英国・西側諸国との友好関係を築くことに成功したのです。
エリザベス女王が1961年にガーナを訪問し、ンクルマ大統領とダンスをしたことが英国で大々的に報道されたということは事実のようです。けれど、実際そのことは、エリザベス女王がジャクリーンから批評を受けて奮起してのことだったのかどうかは不明です。
また、残念ながらガーナにとっては、この後もンクルマ大統領は社会主義国との交流は続けており、女王とのダンスがガーナ国内でとりわけ大きく取り沙汰される出来事であったわけではないようです。
そして、このエリザベス女王の活躍をアメリカで知ったジャクリーンは、再び単身で英国のエリザベス女王の元を訪れることになるのです。
2 ジャクリーン夫人のウィンザー城訪問
2度目の訪問に際し、エリザベス女王は謁見の場所としてウィンザー城を選びました。二流のホテルのようだと言われたバッキンガム宮殿から場所を変えて、巻き返しを図ったのです。
ドラマの中で、ジャクリーン夫人は1度目の訪問の後に流れた彼女の失言の噂について謝罪します。大統領となったケネディ、ファーストレディとなったジャクリーンは気持ちを高めるために薬を打っており、失礼な発言をしたのもそのせいだと告げるのです。そして、ケネディ大統領との夫婦仲についてなど素直な心情を吐露しました。
大統領夫妻がバッキンガム宮殿を訪れた翌年に、ジャクリーン夫人が単身でエリザベス女王を訪問し、ランチを共にしたことは事実のようです。ロンドンに住む妹のキャロライン・リー・ラジヴィルを訪問するために渡英したということです。これまでの夫の浮気に傷心を抱え、国を代表するファーストレディという立場にあるジャクリーン夫人が、わずか3歳年上のエリザベス女王と話をする中で、女性として共感できる何かを感じていたのかもしれませんね。
エリザベス女王とのこの再会について、ジャクリーン夫人は、「感謝の気持ちと、彼女がいかに魅力的であったかということ以外は、何も言うべきことはないと思います」と述べています。また、エリザベス女王も、ケネディ大統領宛に、再びジャクリーン夫人に会えて嬉しかったとの喜びの意を記しています。
そして、その翌年の1963年に悲劇は起きるのです。
3 ケネディ大統領暗殺、そしてエリザベス女王の哀悼
翌年に迫った大統領選挙を前に、ケネディ大統領夫妻が二人でテキサス州を訪問中、ダラス市内のパレードに参加する車中でジャクリーンの隣に座っていたケネディ大統領に銃弾が放たれました。病院に運ばれてからもケネディ大統領の身体から離れようとしなかったジャクリーン夫人でしたが、その後ケネディ大統領の死亡が確認されたのです。
エアフォースワンによってワシントンへと遺体が運ばれる間、副大統領であるジョンソンの大統領就任宣誓が行われます。そして、ジャクリーン夫人が、事件時に着用していた血のついた服から着替えることのないまま付き添っている姿が世界中に映し出されたのです。
ドラマの中では、エリザベス女王は哀悼の意を表し、通常は王家の臨終時にのみ鳴らされるウェストミンスター寺院の鐘を鳴らすように指示します。そして、実際にこの時ウェストミンスター寺院の鐘がロンドンに響き渡ったのです。
また、ケネディ大統領暗殺2年後の1965年、イングランドのサリー州にあるラニーミード (Runnymede) にケネディ大統領の追悼記念碑が建てられました。献堂式ではエリザベス女王の演説が行われ、ジャクリーン夫人と二人の子供たちが出席しました。この場所は、かつて1215年ジョン王がイギリス憲章であるマグナ・カルタに署名をした場所として知られており、現在はナショナル・トラストの管轄となっています。
エリザベス女王と、ケネディ大統領・ジャクリーン夫人との間に大きな絆がつむがれていたことは確かなことなのだと思われます。
ケネディ大統領暗殺時から葬儀までのジャクリーン夫人の気持ちが描かれた映画『ジャッキー ファーストレディー 最後の使命』もまた、ジャクリーン夫人について知る上でとても参考になります。