15) チャールズ国王 (3世) ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 5 & 6

もわりー

2023年5月6日チャールズ国王の戴冠式が行われました。エリザベス女王の治世が長かったため、当初チャールズ国王という呼び方に馴染めなかったのは私だけではないと思います。けれど、そんな私も最近はチャールズ皇太子ではなくチャールズ国王という存在が当たり前に感じられるようになりました。

Netflix製作の『ザ・クラウン』のシーズン3に登場するチャールズ国王について、下記記事で紹介しました。

10) チャールズ国王(3世) ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 3

その後シーズン4に入ると、若きダイアナと出会い、結婚します。チャールズ国王と元ダイアナ妃との出会い、結婚生活についての記事は、ダイアナ妃について書いた下記記事をご参照ください。

11) ダイアナ妃 1 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 4

今回は、チャールズ国王のその後について、シーズン5と6に登場するチャールズ国王を追いながら見ていきます。その際、3つのテーマに焦点を当ててみました。

国王となったチャールズをそばで支えているカミラ王妃との関係について、長かった皇太子時代のチャールズについて、そしてチャールズの妹であるアン王女と2人の息子たち、ウィリアムとハリーについてです。

1 チャールズ国王とカミラ王妃

『ザ・クラウン』の中で、チャールズとカミラ・シャンドはシーズン3で知り合いました。2人で食事をするチャールズとカミラは意気投合している様子でした。しかし、当時カミラはアンドリュー・パーカー・ボウルズと親しくしていました。そして、そのアンドリューは、チャールズ国王の妹であるアン王女ともお付き合いをしていた時期があったのです。

結局、カミラはアンドリュー・パーカー・ボウルズと結婚し、チャールズはその後ダイアナと出会い、結婚するのです。

『ザ・クラウン』の中では、チャールズがダイアナと結婚をする時も、新婚時代もつねにカミラへの思いが残っており、2人は頻繁に電話で話をしているように描かれていました。が、実際はどうだったのでしょうか。

*チャールズとカミラの電話での会話が盗聴される

シーズン5の第5話では、チャールズとカミラの電話が盗聴され、それがタブロイド紙に公表されるストーリーが描かれました。2人のかなり親密な仲が伺われる内容の会話は、1989年のものでした。当時はチャールズとダイアナの仲は冷え切っていましたが、結婚生活が続いていました。王室の離婚問題に発展したら責任を負えないと考え、その盗聴記事は1992年2人が別居をしてから公表されたのです。

ダメージを受けたチャールズはイメージ回復をはかり、1994年にITVのドキュメンタリーでインタビューを受け、王室や英国についてのビジョンを語ることにしました。そして、そこでカミラとの関係を聞かれると、カミラとの関係はダイアナとの関係が完全に冷え切ってから再開したと告げます。ドラマの中ではそれからスッキリした様子で生き生きとしたチャールズが映し出されるのです。

1995年カミラはアンドリューと離婚します。アンドリューはその後すぐに不倫相手だった女性と結婚しています。

そして、チャールズとダイアナは1996年に離婚調停を開始し、8月終わりに正式に離婚しました。

*1997年ダイアナ事故死の夏

シーズン6の第1話では、チャールズ主催のカミラの50歳の誕生日パーティーが開かれます。ダイアナは、その時にロンドンにいたくないという理由から、2人の息子を連れてモハメド・アルファイドの誘いを受けて南仏のサントロペへバカンスに出かけます。

チャールズはカミラとの関係を女王に認めてもらいたく、女王のパーティーへの出席を希望しますが、王室からの出席者はマーガレット王女のみでした。チャールズはスピーチで、ジェーン・オースティンの小説『説きふせられて』のウェントワース大佐の手紙を引用し、過去手放してしまった恋も、もう迷うことはないとカミラに伝えます。

そして、1997年8月31日パリでダイアナ妃の事故が起きます

チャールズはすぐにダイアナのお姉さんと一緒に王室専用機でパリへ向かい、ダイアナの棺と一緒にロンドンへ帰ります。当初すでに離婚が成立して王室を離れたダイアナ妃のために専用機を使うことに、女王は反対しました。しかし、未来の国王の母親であるダイアナを迎えに行くのだと女王を説得したのです。ドラマの中で、パリの病院で冷たくなったダイアナと対面したチャールズは、悲しみをあらわにし号泣します。実際に、霊安室でダイアナと対面したチャールズは、悲しみにくれていたそうです。

ドラマの中では、チャールズがダイアナと最後に会った時、結婚生活ではうまくいかなかったけれど、2人の息子の親として、これからも良い関係を築いていこうと好意的な会話をしています。そのような会話がなされたのかどうかはわかりませんが、離婚後に2人は友人として良い関係であったという話も実際にあるようです。

ダイアナの事故死のあと、チャールズとカミラは目立った行動に出ることはありませんでしたが、2人はずっと一緒に過ごしていました。

*チャールズとカミラの結婚

その後、チャールズとカミラはついに祝福される時を迎えます。

2005年4月8日、2人はウィンザーのギルドホールで民事婚の形で結婚式を挙げました。

『ザ・クラウン』シーズン6の最終話でその様子が描かれています。

女王に結婚の許可を申し出たチャールズ。女王は2人の結婚を認め、カンタベリー司教たちにチャールズの結婚式について相談します。そして、離婚歴があることと国民感情を考慮し、民事婚を勧められます。その後セント・ジョージチャペルで一度離婚していることを懺悔して神に赦しを乞う唱和がなされ、カンタベリー大主教から祝福の儀が執り行われることになりました。

エリザベス女王とフィリップ殿下はギルドホールの式には参加せず、セント・ジョージチャペルでの祝福の儀式と披露宴に参加しました。

カミラの肩書きは、プリンセス・オブ・ウェールズではなく、コーンウォール公爵夫人となりました。プリンセス・オブ・ウェールズはダイアナの呼び名であったのです。

2022年エリザベス女王の即位70周年を祝うプラチナ・ジュビリーの式典を前に、女王は声明を発表しました。いずれチャールズが王に即位した際には、カミラに「王妃」の肩書きを使ってもらいたいと。

チャールズがダイアナと結婚をする前から、チャールズと親しい関係であったカミラ。それからずっと、夫婦という形ではなかったけれど、チャールズのそばで人生を過ごしてきたのです。お互いに欠かせない人物となっていた2人。ダイアナ妃のことでは、カミラもどれほどひどい言葉を投げかけられ、どれほど悲しい気持ちを味わってきたことか知れません。それでも、カミラ王妃はずっとチャールズ国王を支えてきました。

この2人がなぜ初めから結婚していなかったのか、と思わずにはいられません。けれど、それが人生、運命なのですよね。チャールズ国王とカミラ王妃が誕生するまで、たくさんの物語がありました。今はただ、英国王・王妃として国民から愛され、平和に末長く活躍していただきたいです。

2 皇太子時代が長かったチャールズ

チャールズ国王として即位した時、すでに73歳でした。これまでで一番高齢での即位、これまでで最長の皇太子時代を過ごした国王になりました。

73歳といえば、通常では仕事盛りを終えて、引退している年齢です。その年で、国王としての要職に就くという気持ちはどのような気持ちなのでしょうか。

『ザ・クラウン』シーズン5の第1話では、”ビクトリア女王シンドローム”と題して、チャールズが女王に代わって国王になりたがっている様子が描かれていました。

英国の黄金時代を築いたビクトリア女王は、60年間女王の座にとどまり皇太子に譲らなかった、国民はその時のように長寿の女王に飽きている、というような意味合いのようです。

ドラマの中では、世論調査で国民の半分以上が女王の退位とチャールズの国王即位を望んでいるということが書かれた新聞記事が出回ります。

そしてさらに、チャールズがメージャー首相と密かに会談を持ち、女王の退位を促して欲しいと話します。

衝撃的な内容ですが、これは全てフィクションです。

実際の世論調査では女王に好意的な意見を持っており、チャールズ国王を待ち望んでいるということはなかったようです。その時がきたら、チャールズ国王を支持するという結果はあったようですが。

また、チャールズ皇太子とメージャー首相が女王の退位について話し合ったということも全くありません。

さらに、”ビクトリア女王シンドローム”なる言葉も、このドラマの中だけに登場した造語のようです。

けれど、実際のところ、チャールズ皇太子の心情はどのようなものだったのでしょう。

古い考え方やしきたりに忠実な女王やその周りの人たちに対して、革新的な意見を述べて変えていこうとしていたことは確かでしょう。ダイアナの事故死に際しては、離婚して王室を離れたダイアナを王室専用機で迎えに行ったことや国葬にしたことも、チャールズがいたからできたことなのだと思われます。

チャールズは国王という肩書きを持てなくても、ザ・プリンス・トラスト The Prince’s Trust というチャリティ事業を立ち上げ、若年失業者を支援する活動をしたり、地球温暖化防止策に積極的に取り組むなど環境活動家としても活躍していました。

また、1997年香港が英国領から中国へ返還される際の式典にも公務として参加しています。

長い年月女王として君臨したエリザベス女王に、現代の動きを伝える良き助言者としてもチャールズ皇太子は多大に貢献していたのではないでしょうか。

3 チャールズ国王と家族

*アン王女

チャールズ国王の2歳年下の妹アン王女は、たびたび『ザ・クラウン』の中に登場しました。

エリザベス女王とフィリップ殿下の間には4人の子供がいますが、アン王女と3番目のアンドルー王子は10歳も年が離れています。4人兄弟の中でも、チャールズとアンの絆はきっと特別だったのではないかと思われます。

チャールズの女性関係について探りたい時、エリザベス女王はいつもアンに聞いていました。アンはチャールズの良き相談相手になっていたのです。

そんなアン王女自身については、シーズン4第1話で描かれていることが印象的でした。

馬術に長けたアン王女は、オリンピックを目指しますがスランプに陥っていました。そして、同じく馬術選手であった夫のマーク・フィリップスとの間もうまくいっていませんでした。そんなアンを励ましていたのは、父親であるフィリップ殿下でした。ドラマの中のエリザベス女王との会話の中で、フィリップ殿下は自分のお気に入りの子供はアンだと言っています。娘を見守る父親フィリップの温かい姿が映し出されていました。

シーズン5の第4話では1992年アンとマークが離婚し、その後海軍軍人のティモシー・ローレンスと再婚するとアンが女王に告げる場面がありました。王室の離婚と再婚については、これまでもマーガレット王女とタウンゼント大佐のことで国教会の規律上の問題が騒がれていましたが、アンはキッパリと女王に再婚の意思を伝えました。アンとティモシーは、イングランド国教会の教会ではなく、再婚の考え方に寛容なスコットランドの教会で行われたようです。

2人は、アンがはじめにマークと結婚する際に女王から贈られたグロスターシャーのギャトコンブ パークで暮らしています。

シーズン4の第4話で、新婚のチャールズに会いにエリザベス女王がグロースターシャーのハイグローブ邸を訪れた時に、なぜここに家を買ったのか聞きます。そして、チャールズはアンが近くにいるから、と答えていました。実際、近くにいたのはアンだけではなくカミラもだったのですが、アンが近くに住んでいたことは、ハイグローブに住むチャールズにとって安心できることだったのでしょう。

*ウィリアム皇太子

チャールズとダイアナの長男であるウィリアムとチャールズの関係も、『ザ・クラウン』の中で描かれていました。

シーズン5の第7話では、ウィリアムがイートン校に通う様子が描かれます。寄宿舎からダイアナと電話で話し、母親を心配している様子のウィリアムでした。

そしてシーズン6では、ダイアナとハリーと一緒に南仏のバカンスへ出かけ、その後父親チャールズと一緒にスコットランドのバルモラル城で休暇を過ごします。そしてそこで、ダイアナの死を知るのです。

ショックを受けたウィリアムは1人で屋敷を抜け出し、外を彷徨い歩いてみんなに捜索されるシーンがありました。それから、母親の葬儀の後、すぐにイートン校へ戻り、父親チャールズと不仲になっている様子が描かれていました。

そんなウィリアムとチャールズが歩み寄れるように動いたのは、フィリップ殿下でした。チャールズとフィリップも決して仲が良い親子という関係ではなかったものの、父親と息子という関係性を十分に理解しているフィリップの言葉だからこそ、ウィリアムの心に届いたのでしょう。

シーズン6の7話からは、ウィリアムが頻繁に登場します。

セント・アンドリュース大学でのキャサリン妃との出会いや祖母であるエリザベス女王との関係、弟ハリーとの仲などが描かれています。

そして、チャールズとカミラの結婚に際して、そのことを2人の息子たちに告げたのはエリザベス女王でした。母親であるダイアナを失って、長年の不倫相手であったカミラと再婚することは子供たちにとっては容易に受け入れられることではなかったでしょう。けれど、ウィリアムは抵抗せずに受けれいました。ハリーは納得いかない様子でしたが、ウィリアムはハリーに言いました。大人になったんだ、受け入れるしかないということも理解できるようになったと。

長男として、次期国王として、ウィリアムは少年から大人に成長していったのでしょう。

*ハリー(ヘンリー)王子

『ザ・クラウン』でダイアナと一緒に登場する次男のハリーは、まだ幼く、可愛い無邪気な子供のハリーです。

母親であるダイアナを失った時は、まだ12歳だったハリー。

ドラマで動揺している様子が描かれていたのは、兄であるウィリアムの方でした。すでに家族の元を離れて寄宿舎で過ごしていたウィリアムは、周りの動きにも気づき、国中が大騒ぎをしている様子を知り、自分も葬儀に参列してその様子がマスコミに取り上げられるということの重みも感じていたのでしょう。一方ハリーはまだ幼く、母親を失ったという悲しみを乗り越えていくことで精一杯だったのかもしれません。

その後、たびたび問題を起こして父親チャールズから叱責される場面が描かれます。仮装パーティーではナチスの軍服を着て参加し、その写真が新聞に流出してしまい大騒ぎになるという事態もありました。

チャールズとカミラの再婚に関しては、ひどく心が傷ついたのではないかと思います。けれど、兄であるウィリアムが受け入れてしまったので、抵抗する余地もなかった・・・

エリザベス女王は、自分と同じように後に国王となるウィリアムに言います。2番手の大変さをよくわかってあげて、ハリーを守ってほしい。1番手は制度が守ってくれるけれど、2番手は誰も守ってくれないからと。

それはエリザベスとマーガレットとの関係が反映された言葉ですが、とても温かい言葉でした。

チャールズとカミラが結婚した後、ハリーは言っています。

「カミラは素敵な女性だ。父親をとてもとても幸せにしてくれた、そのことが一番大切だ」

ハリーはその後メーガン妃と結婚し、王室を離脱してアメリカへ行きました。これからもまたハリーの動向は取り沙汰されていくのでしょうが、心優しいハリー王子を見守り、幸せに過ごしてもらいたいと思います。

チャールズ国王は、2024年2月5日、検査の結果がんと診断されたことが発表されました。今後は治療を続けながら、できる範囲で公務を続けることを公表しました。その発表を受けて、ハリー王子はアメリカからトンボ帰りで父親の元に駆けつけています。

チャールズ国王とカミラ王妃、お二人並んで国民の前に姿を見せてくれる日が早く戻ってくることを願っています。


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もわりー
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日本→ウィーン15年→現在ロンドン在住です。
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