2) エドワード8世 1 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 1
英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶエリザベス女王と家族、第2弾はエドワード8世について紹介していきます。
1 エリザベス女王の叔父、エドワード8世
エリザベス女王の父、ジョージ6世の兄であるエドワード8世。
ウィンザー公爵やデイヴィッドという呼び名で知られています。
本来エリザベス女王の父であるジョージ6世は、弟であったため国王になるはずではなかったのです。しかし、兄であるエドワード8世は40歳で王位を継承した後、わずか325日後に王冠を捨て退位したのです。そして、弟であるアルバート、通称バーティがジョージ6世として即位しました。
この話は、映画『英国王のスピーチ』でも詳しく取り上げられています。
このエドワード8世は「ザ・クラウン」シーズン1第3話に登場します。
エリザベス女王の父、国王ジョージ6世の葬儀の話です。ドラマの中では、王室のメンバーからひどく嫌われている様子が描かれています。
ではどうしてエドワード8世は退位することになり、家族との関係をこじらせてしまったのでしょうか。
2 エドワード8世とウォリス・シンプソンとの関係
エドワード8世が退位した理由は、アメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するためだったのです。
ウォリスには離婚歴があり、2度目の結婚後、夫のイギリス移住に伴ってロンドンへ渡っていました。そして、社交界のパーティーで当時36歳のエドワード8世(デイヴィッド)と知り合いました。35歳のウォリスは既婚者でしたが、デイヴィッドとウォリスは関係を深めていきました。そんな中、父親であるジョージ5世が亡くなりました。不倫関係を続けるデイヴィッドを憂いていたジョージ5世は、国王は弟であるバーティとその娘エリザベスに継いでもらいたいと言っていたそうです。
即位後もウォリスとの関係を続けたエドワード8世は、当時のボールドウィン首相率いる議会と対立し、国民からも批難を浴びました。
実際ウォリスの夫も他の女性と不倫をしており、夫の不貞行為を理由に離婚が成立し、ウォリスは独身となったのです。しかし、英国王のエドワード8世とウォリスとの再婚は認められなかったのです。
なぜでしょう。
最大の理由は、当時の英国国教会では、離婚後も元配偶者が生存中は再婚することが認められていなかったからなのです。さらに、英国王が、2度の離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するということも英国民には受け入れ難いことだったのです。
ウォリスとの結婚をあきらめるか、あるいは英国王を退位して結婚するかという選択に迫られたエドワード8世は、王冠を捨て、ウォリスと結婚することを選びました。
そして、1936年12月11日BBCラジオで国民に向け退位のメッセージを伝えたのです。まだエドワード8世の戴冠式も行われていなかったです。
3 エドワード8世とウォリス・シンプソンの結婚後の生活
退位後、エドワード8世とウォリス・シンプソンは英国を去りました。マスコミから身を隠すために、英国政府が用意したスイスのホテルではなく、まずオーストリアへ渡ったのです。以前から親交のあったロスチャイルド家の力を借りて、ウィーン郊外のエンツェスフェルト城で過ごした後、フランスに渡りました。そして翌年エドワード8世にはウィンザー公爵の称号が与えられました。
『ザ・クラウン』でも描かれていましたが、このエドワード8世の行動を特に嫌悪し絶縁状態を保っていたのは、エドワード8世の母であるメアリー王太后と、国王となった弟アルバートの妻のエリザベス王妃でした。そして、この二人の影響力もあり、エドワード8世は、英国からの許可なく帰国することができなくなっていたのです。
1952年弟ジョージ6世の葬儀に出席するため、エドワード8世は英国に戻ってきました。しかし、その際もウォリスがウィンザー公夫人として参列することは許されませんでした。
ドラマの中で、一人で英国に滞在中のウィンザー公はウォリスに手紙を書きます。王室の人たちはうんざりだと。王室のメンバーをあだ名でよび、ウィンザー公がロイヤルファミリーにあだ名をつけていることが紹介されていました。
その中でエリザベス女王は”シャーリーテンプル”という名で呼ばれていました。その名を調べてみると、アメリカの女優であり、外交官にもなった女性とのことでした。女優のように英国中の人気者でありながら、国をしっかり支えているというところからついたあだ名なのか、あるいはただ髪型が似ていたからつけたあだ名なのかは不明です。
英国滞在中、エリザベス女王とウィンザー公は一緒に話をします。その際、エリザベス女王はウィンザー公に言いました。「私には謝らないのですか?」と。
すると、ウィンザー公は答えます。「なぜ君に?」
フィリップと普通の結婚生活を送りたかったが叶わなかった、それはエドワード8世の退位により父親がジョージ6世となり、その後を長女であるエリザベスが継がなければならなくなったからだとエリザベスは説明します。エドワード8世の行動は、その時の当事者ばかりではなく、その後までずっと影響を及ぼしていたのです。エドワード8世は、やはりそれをきちんと理解するべきだったのです。
1953年エリザベス女王の戴冠式が行われました。しかしその時も、ウォリスの参列は認められなかったため、ウィンザー公はパリに残り、自室のテレビで戴冠式を見ることになりました。ドラマの中では大勢の人たちがウィンザー公の家に集まってみんなで戴冠式の様子を見ていました。
王冠をかぶる女王の姿を見て、国王になり損ねた男という形で描かれていたのです。
ドラマではその後もエリザベス女王とウィンザー公が関わっていく場面が出てきます。
このウィンザー公は、『ザ・クラウン』のシリーズ3まで登場し、後にチャールズ皇太子との関係も描かれていきます。
8) エドワード8世(ウィンザー公) 2 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 2 & 3