13) マーガレット・サッチャー ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 4

もわりー

Netflix制作のエリザベス2世が主役のドラマ『ザ・クラウン』シリーズでは、エリザベス女王と一緒に描かれる歴代首相もまたストーリーの中で重要人物を担っています。

今回は、シーズン4で登場するマーガレット・サッチャー首相について見ていきましょう。

サッチャー首相と言えば、「鉄の女 Iron Lady」と呼ばれていたことが有名ですよね。

英国で初の女性首相として、鉄の意志で取り組んでいた様子から英国内でそのように呼ばれるようになったのかと思っていましたが、違いました。「鉄の女」は、ソ連の機関紙がつけた呼び名でした。当然批判的な意味で用いられたのですが、サッチャーさんはその呼び方を気に入ったそうです。

そんな「鉄の女」サッチャー首相に関わる出来事、家族との関係、そしてエリザベス女王との関係に焦点をあてて、『ザ・クラウン』のストーリーに登場するサッチャー首相を追いながら見てみましょう。

1 マーガレット・サッチャーはどんな人?

『ザ・クラウン』シーズン4の第1話では、1979年英国初の女性首相、保守党のサッチャー政権が誕生します。

政権誕生の直前、マスコミ報道を見ながらエリザベス女王とフィリップ殿下がサッチャーさんについて話します。彼女に期待しているという女王の発言に対して、フィリップ殿下との会話が続きます。

「商店の娘にか?」
「店主兼議員の父を持ち、奨学金でオックスフォードへ行っている」
「化学専攻だ」
「その後双子を育てながら弁護士資格をとった」

端的に要点をまとめた会話でした。

では少々具体的に見てみましょう。

*マーガレット・サッチャー首相の誕生

マーガレット・サッチャーは、イギリス中東部に位置するグランサム市で食料品店を営むロバーツ家の次女として生まれました。裕福な家庭から政界へ進む男性がほとんどの時代、商店の家出身の女性であるということはとても話題になったのです。

マーガレットの父親アルフレッド・ロバーツは食料品店の店主でありながら、グランサム市の市会議員にもなり、のちに市長にも就任しています。マーガレットはそんな父親を尊敬し、勉学に励みオックスフォード大学へ進み化学を専攻、政治にも興味を持つようになりました。

マーガレットは学生時代、裁判所長の仕事も兼ねていた市長の父親の影響で、法廷に関わることがありました。そして、大学卒業後に化学の知識を生かした会社で働きながら、法学の勉強もはじめます。そんな中でも政治への熱い思いは失われることなく、大学時代も卒業後も、保守党を支持する活動を続けていました。その政治活動の集まりで、24歳のマーガレットは、10歳年上のデニス・サッチャー氏と出会ったのです。

政治に熱心なマーガレットを応援してくれるデニスと結婚し、男女の双子 マークとキャロルを授かります。結婚してもさらに法学の勉強を続け、試験に合格し、ついに弁護士資格を手にしたのです。

なんと素晴らしい経歴なのでしょうか。しかし、彼女の経歴がさらに広がっていくのはその後です。

その後34歳でロンドンのフィンチェリー地区から念願の出馬を果たし、みごと議員に当選します。

上流階級出身の男性社会である議員の世界に入り奮闘したマーガレット・サッチャーは、1975年保守党の党首にまで登りつめたのです。

党首選に出馬する際は、どうせ女性が党首に選ばれるわけはない、けれどそれなら挑戦するだけしてみたいという気持ちだったようです。ところが、マーガレットを後押ししてくれる強い味方も現れ、マーガレットは本領を発揮することができたのです。

そして、1979年の総選挙では保守党が勝利し、サッチャー首相の誕生となりました。

* サッチャリズムとフォークランド紛争

マーガレット・サッチャーは、3期にわたり11年もの長い期間首相を勤めました20世紀最長の在任期間と言われています。

サッチャリズムと言われる経済政策を推進し、水道、電気、電話、航空などの国営企業の民営化所得税率の引き下げ、「ゆりかごから墓場まで」と言われた手厚い社会保障政策の見直しなどを推進していきました。さらに、ストライキの多発で混乱した社会を改善すべく労働法も改革し、組合の力を抑えることにも尽力しました。

しかし、その間に一時は失業率が悪化する事態となり、低所得の市民にとっては非常に生きづらい時代にもなりました。

職を失う労働者の苦悩の様子が、第5話で描かれていました。

失業中のマイケル・ファーガンが、驚くことにバッキンガム宮殿の女王の部屋に侵入するという事件が起こったのです。ファーガンは経済政策で苦しむ市民の声を聞いて欲しいと訴えたのです。これは実際に起こった話です。

サッチャー首相政権下の大きな出来事の一つとして、フォークランド紛争があります。

フォークランド諸島は南米大陸南端の大西洋にあります。16世紀の大航海時代以降、イギリス、オランダ、フランス、スペイン、アルゼンチンなどの諸国が足を踏み入れましたが、1833年以降イギリスが領有していました。しかし、1982年アルゼンチンの艦隊がイギリス領であるフォークランド諸島に上陸したのです。これに対して、サッチャー首相は領土を奪い返すと強く主張し、空母、潜水艦などの機動部隊を派遣しました。

イギリス国内は経済政策で不景気を極めている中、莫大な費用がかかるこの対応に多くの反対の声があがりました。しかし、ためらう弱さを見せず、サッチャー首相は果敢に突き進んだのです。

そして、3ヶ月続いた紛争は、イギリスの勝利となりました。

国中が勝利の歓喜にわき、サッチャー首相は英雄となり、貿易も黒字へ転換、財政赤字も減り景気も回復していったのです。

ドラマの中でこのフォークランド紛争の話は、第4話・5話に出てきます。

2 サッチャー首相とその家族

『ザ・クラウン』ではサッチャー首相が家族について語る場面や、家族と一緒にいる場面もたびたび描かれています。

*マーガレットの父親、アルフレッド・ロバーツ

ロバーツ家はキリスト教を熱心に信仰しており、教会活動も積極的に行いました。そして、父親のアルフレッドは教会で説教もしていました。人を惹きつける演説が得意だった彼は、市議会議員、市長まで努めるようになったのです。マーガレット・サッチャーはそんな父親の姿を見て育ちました。

第2話では、夏をバルモラルで過ごすロイヤルファミリーが、サッチャー首相夫妻を招待するシーンが描かれます。エリザベス女王が運転する車にサッチャー首相が乗り、父親について語ります。

女王が父親であるジョージ6世とはよく狩りに一緒に行って遊んでいたと話すと、サッチャー首相は、父親とは仕事を介して一緒に遊んでいたと語ります。一緒に店番をし、議員活動にも同行し、演説の原稿作りや練習を手伝い、実際の演説もよく聞いたと。

とても素敵ね、と女王は言います。

マーガレットの父親は、一生懸命勉強して自分の道を切り開き、臆病になってはいけない、そのような信条を持って娘たちを育て、マーガレットの心の中にはその父の教えが深く刻み込まれていたのです。

*マーガレット・サッチャーの夫デニス、息子マーク、娘キャロル

24歳で政治活動をしている時に知り合ったデニス・サッチャーとは、出会った当初から政治の話で意気投合し、デニスはマーガレットの政治活動をずっと支えてきました

第1話で初めてサッチャー首相がエリザベス女王と謁見した場面では、夫はすでにリタイアしましたが、私の邪魔はしませんと言っています。

サッチャー首相が登場する様々なところで、夫のデニスに政治の話を相談したり、愚痴をいう場面が出てきます。マーガレット・サッチャー首相にとって、時にユーモアをまじえながら親身になってくれる夫デニスの存在は、大きな支えとなっていたようです。

第4話では、息子のマークがフランスで行われたモータースポーツの競技会、ダカールラリーに出場した際に行方不明になってしまう話が描かれます。息子を心配するあまりクイーンとの謁見も心あらずの様子で、涙を流します。

大好きな息子だと女王の前で公言し、女王はその発言により自分自身の子供との関係について改めて考えさせられます。そして、4人の子供たち1人ずつとランチを共にしながら話を聞くという展開になっていきます。

これはドラマの中のストーリーですが、女王と首相の家族に対する思いや接し方の違い、子供たちの苦悩が表現された興味深い話でした。

無事にマークが見つかり家に戻ってくると、サッチャー首相は上機嫌でマークを甘やかします。そんな様子を見て、娘のキャロルどうしていつもマークばかりをかまうのかと抗議します。実際サッチャー首相が自身の母親や娘との関係を軽視し、父親や息子ばかりをかまっていたのかどうかはわかりません。しかし、娘のキャロルにその時言い放ったように、自分の限界を決めてその立場に満足している弱い人間よりも、自分の可能性を信じる強い人間が好きだという発言は、その通りだったのかもしれません。

娘のキャロルは、サッチャー首相の晩年、認知症を患った母親のことを気にかけ、介護をしていたようです。

3 エリザベス女王とサッチャー首相の関係

1で紹介したエリザベス女王とフィリップ殿下の会話には、続きがありました。

フィリップ殿下は新聞を読みながら続けました。

人格はどうだ。若い頃食品開発者の職に応募したが、性格を理由に不採用。強情、頑固、自惚れやと人事部は評価」

何やら波乱が起こりそうな発言でしたが、実際その後ドラマの中で波風は立ちました。

第2話で描かれたバルモラル城での休暇の際は、上流階級のしきたりに慣れていなかったサッチャー首相夫妻は戸惑いを見せます。スコットランドの田舎で過ごすためのアウトドア用の服装の用意もなく、頭の中は仕事のことでいっぱい、そして早々にロンドンへと引き返してしまいました。

その後第8話では、エリザベス女王とサッチャー首相の不仲説が新聞で取り上げられてしまうという事態に発展します。

エリザベス女王は英国君主であると共に、56の加盟国からなる英国連邦コモンウェルスの首長でもありました。かつてプリンセス時代の1947年、自身の21歳の誕生日をサウスアフリカのケープタウンで迎え、英連邦諸国に向けてラジオ演説を行ない、生涯をあなたたちのために尽くしますと誓いました。

そんなサウスアフリカで、アパルトヘイト、黒人に対する人種隔離政策が行われており、コモンウェルス諸国はそのことに対して経済制裁をすべきだと動いておりました。けれどサッチャー首相は、南アフリカはすでに経済的に困難をきたしており、英国の経済にも影響を与えることになる経済制裁を行っても何の意味もないと反対していました。

エリザベス女王は、バハマで行われた連邦首脳会議の際にサッチャー首相と話し合う機会をもうけ、経済制裁への賛同を持ちかけます。しかし、首相は全く折れずに、制裁への合意には至りませんでした。

そして、1986年7月のサンデータイムズ紙上で、女王が首相への非難を明確に表明しているという内容の記事が書かれたのです。女王は国の政治には口出しをしないという王室の伝統を破ったということで世間を騒がせました。

『ザ・クラウン』で描かれたこのストーリーには、もう1人重要な登場人物がいました。エリザベス女王の報道官であったマイケル・シェイです。

ドラマの中では、マイケルはこのような内容の記事がトゥデイ紙で取り上げる予定だということを予め知らされ、女王に先手を打って女王が首相を褒めるような声明を出すよう提案します。しかし、エリザベス女王はそこで強情になり、首相の冷酷さには実際不安を感じており、不仲であるという真実が報道されて何が問題になるのか、と記事が露出することを抑えようとしませんでした。そこで、マイケルが問題の対処の仕方を知っているであろう大手のサンデータイムズ紙に書かせる方が良いと判断するのです。

実際に新聞が世間に出ると、このことは大きな問題となっていきます。そして事態を収拾させるために、クイーンの秘書であるマーティンは、マイケルが独断でこの話を新聞社にリークしたのだと汚名を着せ、マイケルを報道官辞任へと追いやるのです。

ことの真相はわかりません。ですが、女王が首相の冷酷さを非難するような内容の報道がサンデータイムズ紙面上で書かれたことは事実です。そして、マイケル・シェアが新聞が出回った後に辞任したことも。

ドラマでも描かれていましたが、マイケル・シェアはその後小説家として活躍します。報道官時代の話を題材とした本もあります。報道官を辞任したことは、彼の人生で負の進路にはならなかったのです。

エリザベス女王とサッチャー首相は半年違いの同世代、生まれも育ちも全く違う2人がリーダーとなり、意見の食い違いで衝突が起きたとしても全く不思議ではないでしょう。

けれど、エリザベス女王はサッチャー首相が11年という長い年月首相の座につき、英国の政治を司っていたという功績をしっかりと評価しました。

ドラマの最後でサッチャー首相が辞任する際、エリザベス女王からサッチャー首相にメリット勲章が授けられました。サッチャー首相が勲章を授かったのは実際退任した後の話ですが、サッチャー首相を尊重していたことは事実なのです。

さらに、2013年マーガレット・サッチャーが87歳で亡くなった際には、準国葬としてセントポール寺院で葬儀が行われ、エリザベス女王とフィリップ殿下も出席しました。女王が首相の葬儀に出席したのは、ウィンストン・チャーチル以来のことでした。

メリル・ストリープ演じるマーガレット・サッチャーの物語が描かれた映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』もまた、サッチャー首相のことを知る上で非常に興味深い作品です。

サッチャー首相と言えば、話し方に特徴がありますよね。低い声で挑発するような話し方。『ザ・クラウン』を見ていてもとても気になってしまいましたが、マーガレット・ロバーツはもともとそういう話し方をする女性ではなかったようです。男性社会である政治の世界で説得力のある演説をするためには、女性特有の甲高い声では嫌われるという観点のもと、党首を目指すマーガレット・サッチャーを作り上げるシーンは印象的でした。

マーガレット・サッチャーの根底にあった強い信念は、時に冷酷で不利に働くこともあったと思われますが、初の女性首相として新しい時代を切り開いて行くことは、並大抵の決意ではできなかったことでしょう。マーガレット・サッチャー、歴史に名が刻まれるべき素晴らしい人物ですね。

英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ シリーズ

ABOUT ME
もわりー
もわりー
日本→ウィーン15年→現在ロンドン在住です。
書くこと・なにかをつくり出すことが好きです。

記事を読んでいただいた方をステキな旅へと案内できたら、そんな思いで書いていきます。

どうぞよろしくお願いします。
記事URLをコピーしました