14) ダイアナ妃 2 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 5 & 6

もわりー

Netflix制作のドラマ『ザ・クラウン』は、2023年11月と12月に分けてシリーズの最終となるシーズン6を発表しました。

20代のエリザベス女王の周りで起こった出来事が描かれたシーズン1から始まったこのドラマ、英国の歴史をたどりながら大変興味深く見てきました。

そしてシーズン5・6になると、歴史上の人物を振り返るというよりも、私にとっては、実際に報道で見聞きしたことがある人物のストーリーになってきました。

今回はその中でも、今はもうその姿を報道で見ることができなくなってしまった女性、元ダイアナ妃について見ていきます。

前回シーズン4で初めて登場したダイアナは、チャールズと出会い結婚をしますが、やがて結婚生活が破綻していく様子を書きました。

11) ダイアナ妃 1 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 4

今回は、シーズン5と6で描かれるその後のダイアナについてたどっていきましょう。

1 ダイアナ ー チャールズとの離婚まで

1996年チャールズとダイアナの離婚が成立するまで、『ザ・クラウン』のシーズン5ではダイアナについて気になる3つの出来事がありました。

*アンドリュー・モートンによる自伝書の出版

シーズン5の第2話では、アンドリュー・モートンがダイアナについての自伝書を出版することが描かれています。友人を介してその話を持ちかけられたダイアナは、ダイアナの本当のことを知ってもらう良い機会だととらえ、積極的に協力します。ダイアナ自らがモートンからの質問に対する答えを語り、それをテープに録音、それを友人のコルサーストがモートンへ渡すという手法でした。

ダイアナはそこで赤裸々に真実を語りました。

チャールズとの冷え切った結婚生活や王室内での様子、報道陣に追われる日々にストレスを感じ、過食症を患ったことなど。

それを聞いて、ダイアナがチャールズと結婚する前から親しい友人であったコルサーストも、ショックを受けます。それほど、ダイアナの真実の気持ちは誰にも知られていないことだったのです。

実際、この本は1992年に『Daiana:Her True Story ダイアナ妃の真実』として出版されています。

出版当初、そのような衝撃的な内容をダイアナ自らが語ったということは隠されており、モートンが友人や関係者から聞き取りをして書いた話だということになっていました。しかし、ダイアナの死後、ダイアナ本人から聞いた真実だということを公開し、”Diana:Her True Story in Her Own Words“と改名して再出版しています。

アンドリュー・モートンは、トムクルーズやマドンナなどの伝記も出版している世界的な伝記作家として知られています。

*BBC 『パノラマ』のテレビインタビュー

続いて、シーズン5の第7・8話では、ダイアナがテレビ番組でインタビューを受けるストーリーが描かれます。

BBCのドキュメンタリー番組 ”パノラマ” の記者であるマーティン・バシールは、ダイアナ妃のインタビュー番組を撮るために、まずダイアナの弟スペンサー伯爵に近づきます。そして、ダイアナはスペンサー伯爵により、信頼できる人物だからとバシール氏を紹介されるのです。

マーティン・バシールに会ったダイアナは、インタビューを受ける決心をします。そして、ケンジントン宮殿に彼を招き、インタビューの撮影が実施されるのです。

ダイアナは、チャールズの中にはいつもカミラがいたこと、ストレスで自傷行為をしたこと、プリンセスになることは望んでいない、みんなの心の中のプリンセスでありたいなどと語ります。

このインタビューは、1995年11月20日に放送され、英国内で高い視聴率を誇り、大きな反響を呼びました。

そして、それからエリザベス女王はチャールズとダイアナに離婚を勧める手紙を送るのです。

これは本当に起こったことです。

後にパノラマは、この放送により数々の賞も受賞しました。

しかし、2021年5月に衝撃的な事実がわかりました。

ダイアナにインタビューに応じてもらうために、バシール氏はスペンサー伯爵を味方につけようと画策し、不正を行っていたことが発覚したのです。

2022年に放送されたドラマの中でもその様子は取り上げられていましたが、バシール氏は銀行口座の明細書を偽造し、スペンサー伯爵の元警備責任者が、諜報機関などから定期的に報酬を受け取り、スペンサー家をスパイしているという虚偽の内容を示したのです。

BBCのこの不正行為により、両親の仲を悪化させ、たくさんの人々を傷つけたとウィリアム王子はすぐに厳しく批判を表明しました。

ダイアナは当時、このインタビューを受けたことは後悔していないと言っていたそうです。

ダイアナとチャールズは、1996年8月に正式に離婚が成立しました。

*外科医ハスナット・カーンとの出会い

ちょうど”パノラマ”でのインタビューの話が持ち上がった頃、ダイアナは友人の夫の主治医であったパキスタン出身の心臓外科医ハスナット・カーンと知り合います。

外科医としての仕事に取り組む真剣な眼差しに魅了されたダイアナは、彼と懇意になっていきます。変装をして外にデートに出かける様子がドラマの中でも出てきます。

『ザ・クラウン』の中では、やがてそれからハスナットとの関係は終わり、その後登場することはありません。しかし、ハスナットとダイアナは、1997年の夏まで関係が続いていたと言われています。

2 1997年 ダイアナ最期の夏

シーズン6は、ダイアナが2人の息子たち、ウィリアムとハリーと一緒に、南仏のサントロペで夏休みを過ごすところから始まります。パリのリッツホテルやロンドンのハロッズのオーナーであるモハメド・アルファイドが、ダイアナたちを豪華なヨットでのバカンスに招待したのです。

エジプト出身のモハメド・アルファイドの話は、シーズン5の第3話でも描かれます。次々と事業を拡大していく野心家の彼は、英国の王室と親しくなりたいという野望も抱いていました。そして、ダイアナと知り合いになるのです。

『ザ・クラウン』の中では、モハメドが息子のドディ・アルファイドとダイアナが懇意になることをたくらみます。アメリカ人の婚約者がいたドディを無理矢理サントロペへ呼び出し、ダイアナの気を引くように仕向けるように描かれています。

ウィリアムとハリーがチャールズと一緒にスコットランドのバルモラルで過ごすために、ダイアナたち3人は一度ロンドンに戻り、チャールズへ2人の息子を託します。しかし、それからダイアナはまた1人でヨットのバカンスへ戻り、ドディと過ごすのです。

ドディはダイアナに魅了され、父親モハメドの圧力もあって2人は親しくなっていきます。そのことを知ったモハメドは、優秀な報道カメラマンをわざわざ2人の元へ行かせ、気づかれないように写真を撮らせます。その写真は新聞で大々的に報道され、「ダイアナの新しい恋人」として世界中に知れ渡ったのです。

その後、予定どおりボスニアへ行き、地雷撤去の活動を行ったダイアナでしたが、その活動内容よりも、新しい恋人ドディのことで報道陣から質問攻めにあいます。

そして、再び船上バカンスへ戻ったダイアナ。

報道陣パパラッチから執拗に追いかけられ、困惑します。8月の終わりにドディの父親の専用ジェットでロンドンへ戻ることになりますが、その前に、最後に1日パリに滞在することになります。早くロンドンに戻りたかったダイアナですが、ドディと共にパリのリッツホテルへ向かいます。どこへ行ってもパパラッチに追いかけられ、リッツとドディのアパートを行き来しますが、リッツで夕食をとった後、ドディのアパートへ戻ることにします。報道記者の目をそらすため、おとりの車を用意し、別の車で0時を過ぎた夜中にひっそりと出発することにします。予定外で再び運転を命じられた運転手は、すでにお酒を飲んでいました。

こっそり車に乗り込んだものの、やはりパパラッチの追ってから逃れることはできませんでした。そして、スピードを出して逃げる途中、トンネルの中で衝突事故が起きるのです。

運転手とドディはその場で命を落とします。ダイアナは重症で病院に運ばれますが、4時間後に死亡が確認されました。

ダイアナは、1997年8月31日36歳という若さでこの世を去りました。

ダイアナは離婚により王室から離れていましたが、ブレア首相とチャールズの意思により、国葬に準ずる形で9月6日にウェストミンスター寺院で葬儀が行われました。世界中の人々がダイアナの死を悲しみ、町中がたくさんの献花であふれました。

ダイアナの事故死のことは、さまざまな報道がされていますが、真実はわかりません。

『ザ・クラウン』の中では、モハメドがドディにダイアナと結婚するように圧力をかけ、ドディはダイアナに婚約指輪を買ってプロポーズするためにパリに行きました。パリでプロポーズをしたドディですが、ダイアナはまだ2度目の結婚をするつもりはないと断ります。また、事故に遭う前にダイアナがウィリアムとハリーと電話で話していた際も、ドディとは結婚しないとはっきり告げています。

1997年当時、日本でこのニュースを聞いた私は、ドディはダイアナの恋人であり、ダイアナは愛する人と一緒に最期を迎えたのだと思っていました。けれど、今はそれは違ったのではないかと思います。ドディと一緒に過ごした夏のバカンスが楽しかったことは事実だと思います。が、愛する人ではなかったと。

ダイアナの想いは?

*ハスナット・カーンとの真剣交際

先ほど、ハスナットとの出会いについて触れました。『ザ・クラウン』の中では、チャールズとの離婚が成立するころには、ハスナットとは連絡が取れなくなっていました。けれど、ハスナットとダイアナは、1997年事故に遭う前まで連絡をとっていたと言われています。

ダイアナの事故後の警察聴取で、ハスナットがそのように話しているようです。

ハスナットとの未来を真剣に考えていたダイアナは、パキスタンを訪問してハスナットの家族にも会っているのです。

けれど実際、心臓外科医であるハスナットには、世界的有名人であるダイアナと一緒になって、常に人から見られるような生活をすることは非現実的だったのでしょう。ダイアナがドディとバカンスに出かける前に別れ話になり、ダイアナはハスナットに嫉妬してもらいたくてドディと仲良くしているように装っていたと思う、とダイアナの友人が証言しているといういう話もあります。

真実は誰にもわかりません。

2013年に公開された映画『ダイアナ』は、2001年に出版されたケイト・スネルの著書『Daiana:Her Last Love ダイアナ 最後の恋』が題材となっており、ハスナット・カーンとの関係が描かれています。

*慈善事業への想い

ダイアナはカメラの前で笑顔を向け写真に写り、人々に寄り添う人として慕われていました。そして、積極的に慈善事業にも取り組んでいました。エイズ患者や地雷で手足を無くした子供たちにも心から寄り添いました。

世界から注目をされるダイアナがそのような姿をアピールすることで、地雷で苦しむ人々の問題も注目を浴びるようになったのです。

ダイアナのことを調べている時に、非常に興味深いことを発見しました。

ダイアナが誕生から幼少期を過ごした、サンドリガムにあるパークハウス

元々は王室がサンドリガム邸の来客用に作った屋敷でしたが、その後スペンサー家に貸し出されていました。1975年ダイアナの父親エドワードがスペンサー伯爵位を継ぎ、スペンサー家はパークハウスからオルソープへ引っ越します。

そして、1983年にエリザベス2世はこのパークハウスを女王がパトロンであったチャリティ事業社、レオナルド・チェシャーへ寄贈しました。そこは、障害を持つ人たちへのチャリティ事業で知られています。そして、1987年までに改装工事が行われ、障害を持つ人たちがくつろげる場所として、パークハウスホテルが誕生したのです。

ダイアナの慈善事業の想いが、生家であるサンドリガムのパークハウスに引き継がれていることは、とても心温まるお話でした。

サンドリガムのパークハウスは、離婚前にロイヤルファミリーとクリスマスを過ごすダイアナの苦悩が描かれた映画、『スペンサー ダイアナの決意』に出てきますよ。

英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ シリーズ

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もわりー
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日本→ウィーン15年→現在ロンドン在住です。
書くこと・なにかをつくり出すことが好きです。

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どうぞよろしくお願いします。
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