8) エドワード8世(ウィンザー公) 2 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 2 & 3

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もわりー

エリザベス女王の伯父、ジョージ6世の兄であるエドワード8世。退位後はウィンザー公の称号で知られています。

『ザ・クラウン』シーズン1では、弟ジョージ6世の葬儀に出席するため、ロンドンに戻ってきたエドワード8世が登場しました。妻のウォリスを伴うことも許されず、王室の中では嫌われ者である様子が描かれていました。

2) エドワード8世 1 ー 英国王室ドラマ『ザ・クラウン』から学ぶ Season 1

今回は、その後シーズン2・3で登場するウィンザー公の様子を見てみましょう。

1 就職活動のために渡英するウィンザー公!?

『ザ・クラウン』シーズン2 第6話では、ウィンザー公(エドワード8世)が再び英国にやってきます。それはなぜでしょうか。

パリ郊外のブローニュの森にあるお屋敷ヴィラ・ウィンザーで妻のウォリス・シンプソンと暮らすウィンザー公は、国王という重圧とはかけ離れた気楽な生活を送っていました。パーティや友人とのゲームなどに明け暮れ、誰からも能力を必要とされない生活に、物足りなさを感じている様子が描かれています。そして、もう一度自分の人生に張り合いを取り戻すために、仕事をしたいと熱望します。そうして、自分の支持者を頼って英国へ渡ることにしたのです。

このことは、残念ながら史実に基づいた話ではないようです。

しかし、実際王位を捨てて遊び暮らす生活を選んだエドワード8世は、国に仕える仕事を恋しく思っていたこともあったのではないでしょうか。実際アメリカのニクソン大統領と面会したり、昭和天皇の訪問を受け入れたりと、公務のようなことを好んで行っていました。

ドラマの中でウィンザー公の渡英の表向きの理由は、執筆準備ということになっていましたが、裏では支持者の動きにより、ウィンザー公へ外交官のポジションがオファーされます。政府側とも順調に話を進め、最後に残された壁は女王陛下からの承認だけとなります。そして、いよいよウィンザー公はエリザベス女王に会うために、バッキンガム宮殿を訪れるのです。

2 ヒトラーと交流していたウィンザー公

このウィンザー公の職探しの話と並行し、第6話の中枢となっているテーマがありました。それはウィンザー公とヒトラーとの交流です。

ドラマの第6話は、1945年ドイツのマールブルクでアメリカ兵によりナチスドイツの文書が発見される場面から始まります。文書はマールブルク城の中で調べられ、その結果ウィンザー公とヒトラーの関係が暴かれることとなるのです。この機密文書は、マールブルクの文書と呼ばれており、史実なのです。

当時の英国首相ウィンストン・チャーチルは、このマールブルクの文書を公開しないよう当時のアメリカ大統領アイゼンハワーに訴えかけ、アイゼンハワーはこの要求を受け入れました。これはドイツ側によって作成されたもので、公平なものではないとしたのです。

そして、ドラマの中では、ウィンザー公が仕事探しで渡英したそのタイミングで、その文書が再び英国内で姿を現してしまうのです。すぐに公表すべき文書だとの歴史家からの意見が上がり、再び政府はエリザベス女王に報告します。

そんな中、女王の許可を得るべくウィンザー公と女王が対面することになるのです。

英国の国益を守り、人をもてなすことが得意な自分には適任の仕事だとウィンザー公は自信を持って語ります。しかしそこで、エリザベスはマールブルク文書の内容を告げるのです。ウィンザー公は、その文書はただのドイツ側のプロパガンダだと女王を説得し、ウィンザー公に協力してくれるよう懇願します。

エリザベスはフィリップの助言を受け、当時ジョージ6世の首席秘書官であり、その後エリザベス女王の秘書官にもなったトミー・ラッセルズを訪ねます。そしてそこで、衝撃の事実を聞かされるのです。

国王に就いたエドワード8世は、ナチ支持者の廷臣をそばにおき、さらにウォリス夫人に同盟国側の機密を漏らした後、夫人は駐英ドイツ大使と親密な関係になりました。それ以降、政府は機密がドイツ側に漏洩することを懸念して、王に報告をしなくなりました。夫妻はその後退位してから1937年ヒトラーに会いに行き、戦争が始まってからもヒトラーと接触します。そして、ヒトラーとの間で、計画がなされたのです。それは、ジョージ6世から国王の座を奪い、ウィンザー公を再び国王の座に戻す、見返りにドイツが全ヨーロッパを掌握するというものでした。ウィンザー公は親衛隊の士官学校も訪れ、強制収容所も訪れています。そして彼は、独英の和平を結ぶためには、フランスそして英国民までをもドイツの空爆の悲劇に晒し、疲弊させることを進言したと言うのです。

エリザベスは再びウィンザー公と対面し、再び国に仕えたいというウィンザー公の願いをキッパリ断ります。そして、英国への入国も今後いっさい許可しないと告げるのです。

史実では、マールブルク文書は1954年に一部、1957年に全部、さらに1996年に続きが公開されています。ウィンザー公が英国を訪れたことになっている『ザ・クラウン』での設定は、1954年あたりの出来事を描いていると思われます。

3 ウィンザー公とチャールズ皇太子

『ザ・クラウン』シーズン2では、上記のようにエリザベス女王とウィンザー公が決別したように描かれましたが、実際は1965年ウィンザー公は左目の網膜剥離の手術のため、ウォリス夫人を伴ってロンドンを訪れています。その際にエリザベス女王はウィンザー公夫妻を訪問しています。そして、その時に初めてウォリス夫人が、ウィンザー公夫人として認められることになったのです。その後、ウィンザー公の妹の葬儀、母親であるメアリー王太后の生誕100年記念式典などには夫妻で参加しています。

夫妻がこのようにロンドンを訪れたことにより、ウィンザー公は若い王室メンバーたちとも交流ができるようになっていきました。特に、エリザベス女王の長男であるチャールズ皇太子とは気が合い、頻繁に文通をする仲になっていました。

『ザ・クラウン』シーズン3第8話では、ウィンザー公が食道癌に罹患していることが判明します。そしてそれでも尚、昭和天皇のブローニュの屋敷への訪問を受け入れる姿が描かれます。そんなウィンザー公の姿を、バッキンガム宮殿ではエリザベス女王と母親のメアリー王太后が報道を通して見ていました。メアリー王太后は変わらずウィンザー公への嫌悪が拭いきれずにいましtが、他の人たちはもう彼のことをそれほど憎んでいないようだとエリザベス女王は告げます。

そして、その後でチャールズ皇太子がパリのウィンザー公を訪問する様子が描かれます。

1972年病状が悪化し苦しむウィンザー公を、パリを公式訪問したエリザベスは見舞いに行きます。病気ですっかり体力を奪われていたウィンザー公でしたが、エリザベスの訪問時にはジャケットをはおり、ネクタイまで締め、椅子に座って対応します。

ウィンザー公は、チャールズ皇太子からもらった、知り合って間もないカミラへの想い、そして国王になることへの想いが綴られた手紙をエリザベスに渡します。未来の国王であり息子の気持ちが書かれているから読んで欲しいと。

そして、最後に、エリザベス女王にしてきた全てのことを、許して欲しいと言い、エリザベスもそれに答えるのです。

病気のウィンザー公の元をエリザベス女王が見舞いに訪れたことは、史実のようです。ただ、エリザベス1人での訪問ではなく、フィリップ殿下とチャールズも一緒に訪問しています。ウィンザー公がその時、ドラマの中でのようにエリザベスと親密に話ができたのかどうかはわかりません。

そしてそれから10日後、ウィンザー公はウォリス夫人に見守られ、息を引き取りました。

ウィンザー公の遺体はロンドンへ運ばれ、葬儀が行われました。そして、王室メンバーが眠るフロッグモア墓地へ埋葬されます。その様子は、シーズン3第9話の冒頭で描かれています。

1986年ウォリス夫人はブローニュの森のヴィラで生涯を閉じました。葬儀は英国で行われ、ウィンザー公と同じ墓地に埋葬されました。

遺産は遺言によりフランスの非営利民間研究機関に寄付されました。そして、ブローニュの森のヴィラ・ウィンザーは、エジプト生まれの実業家モハメド・アルファイドが購入したのです。

このアルファイドの息子ドディは、後にダイアナ妃と共にパリのトンネルで事故死を遂げることになります。そして、その後再びこのヴィラ・ウィンザーは売却され、売り上げは慈善団体に寄付されています。

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もわりー
もわりー
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