原田マハさんが連れて行ってくれるモネの世界ー2作品とジヴェルニー
アート作品を題材にした原田マハさんの小説。
前回のゴッホにつづき、今回はモネについて書かれた作品2つを取り上げて、マハさんが連れて行ってくれるモネの世界を紹介していきます。
ではさっそく、モネのストーリーを一緒に体験しましょう。
1 原田マハ『ジヴェルニーの食卓』
この本は4つの短編からなっています。
最後の短編のタイトルが『ジヴェルニーの食卓』、クロード・モネのお話です。
モネの娘、ブランシェがジヴェルニーで晩年のモネと共に過ごし、語り手となってストーリーが展開します。
モネが白内障の手術を乗り越え、友人のクレマンソーに支えられながらオランジェリー美術館に展示されている『睡蓮』の創作に取り組む様子が描かれています。そして、それと並行する形で、モネがブランシェの母親であるアリスたち一家と出会った頃のお話が語られます。
アリスの夫エルネスト・オシュデは、美術品の収集に力を入れており、クロード・モネに創作を依頼しました。そして、モネはアリスの家にもよく出入りすることになり、子供たちもモネになついていきます。中でも、アリスの娘ブランシェは、モネのアシスタントとして屋外での創作活動に同行し、モネを、そしてモネの絵をすっかり気に入ってしまいます。
そんな中、エルネストは事業に失敗し家を追われることとなります。そして、一家でモネの家に居候として入り込むのです。当時モネは愛する妻のカミーユと2人の息子たちと極めて質素な暮らしをしていました。さらにそこへ、エルネスト夫妻が4姉妹と2人の息子を連れて来たのですから、どれほど生活に窮した状態となったことでしょうか。やがて、病弱であったカミーユが32歳の若さで亡くなり、エルネストは親族のいるベルギーに出かけたきり家に戻らなくなりました。愛妻を亡くし絶望の中にいたモネを支えたアリスと子供たちが、モネの家族と強い絆で結ばれるようになっていくことも自然な流れだったのです。
10人という大所帯で、のびのびとと囲める食卓がある家に引っ越しをしようと言うモネ。けれど、パリで仕事をしていたエルネストはアリスたちをパリへ呼び戻そうとしていました。モネの元を去ろうと決めたアリスたちでしたが、それは計画だけで終わってしまいました。そんなこと、実際にはできなかったのです。モネとの別れを決意したアリスたち、それを止めるモネが描かれている場面は、とても印象的なシーンです。
こうして、モネはやがてアリスと子供たちと一緒にポワッシーへ、そしてその後ジヴェルニーの家に引っ越すことになるのです。そして、エルネストがこの世を去り、モネ52歳、アリス48歳で2人は結婚しました。
ブランシェは、モネの息子ジャンと結婚をしますが、その後アリスが他界、その3年後にジャンも逝ってしまい、ブランシュはモネがいるジヴェルニーに戻ってきたのです。
ブランシェはモネを最後まで支え、オランジェリー美術館に飾られることになる『睡蓮』の完成までそばで見守りました。
ジヴェルニーでの光りあふれる庭園を歩き、絵画に打ち込む様子が目の前に広がるような温かいお話です。
この本では、その他の3作でも画家の話が描かれています。
1話目は、アンリ・マティスのお話。
ニースに住む絵画コレクターである女主人の下で働く女性マリア。ある日、庭のマグノリアの花を届けるために使いに出されます。そこはマティスの家だったのです。マティスの家に入ったマリアは、マグノリアのお花を生ける花瓶を出して欲しいと言われ、翡翠色の花瓶を選びます。そして、それによってマティスに気に入られることとなり、それからマリアはマティスの家で仕えることとなります。
マティスはその花瓶に生けられたマグノリアの絵を描きます。気になって調べてみると、実際マティスの作品の中に『マグノリアのある静物』画がありました。鮮やかな色づかいのマティスの絵。このお話によって、これまで知らなかったマティスの絵と出会うことができました。
話は少しそれますが、原田マハさんの別のアート短編集『常設展示室』の『豪奢』の中でも、マティスの絵が登場する話があります。この本は画家の話というより、小説のなかで絵画が登場する物語となっていますが、こちらもまた絵画への興味を誘われる大変興味深いお話となっています。
2話目はエドガー・ドガのお話。
この本を読むまで、この画家のことは知りませんでした。けれど、踊り子を目指す少女の絵を多く残したドガについて、画家仲間の女性が語る物語に知らず知らず吸い込まれていきます。
3話目はタンギー爺さんとセザンヌのお話。
タンギー爺さんは、原田マハさんがゴッホについて書いた作品『たゆたえども沈まず』の中にも登場します。新興芸術と言われていた貧しい印象派の画家たちを陰で支えた画材・画商を営む主人。ここではその娘がセザンヌに宛てて手紙を書く形で、セザンヌのことが語られています。
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『ジヴェルニーの食卓』は、私が初めて出会った原田マハさんのアート小説でした。この本の存在を知った時、私はすでにフランスのジヴェルニーのモネの家を訪れた後でした。モネの家は、心が休まるような素敵なところだったので、この本のタイトルを見て、読んでみたくなったのです。
そして、この小説のおかげで、モネという人物を1人の人間として愛しく感じることができました。
2 原田マハ『モネのあしあと』
『モネのあしあと』は小説ではなく、原田マハさんがモネのことを解説してくれています。
原田マハさんは、モネの人生の中で重要だった出来事として3つあげています。それは印象派展への出展、エルネスト・オシュデ家族との交流、そしてジヴェルニーでの生活です。
歴史や神話を題材とした理想の美であるアカデミズム絵画、19世紀後半のフランスではそんなアカデミー派の画家が主流で活躍していました。そこに、風景や人物など、自由に見えるものを表現する印象派の画家たちが現れました。モネはやがて印象派を代表する画家の1人となります。印象派展も開かれますが、それは賞賛を持って受け入れられるものではありませんでした。
その印象派は日本の浮世絵に大きく影響を受けているといいます。そして、モネもまたたくさんの浮世絵を収集していました。そのことは、ジヴェルニーの家を訪れると一目瞭然なのです。
エルネスト・オシュデ一家との出会いは、エルネストが印象派絵画を好んで収集していたことによります。絵画の創作を依頼されたモネは、行商でエルネストが不在の時でも、オシュデ家で創作活動を行っていました。小説『ジヴェルニーの食卓』で描かれているように、エルネストの次女ブランシェが、幼少期にモネについて行って創作活動の手伝いをしていたというお話は、マハさんの創作と言われています。けれど、自らも絵を描いたブランシェとモネの交流が描かれた場面はとても温かく、本当の出来事のように感じられます。
その後、エルネストは事業で失敗し破産、妻のアリスと6人の子供を連れてモネ一家に面倒を見てもらうこととなりました。当時はまだ印象派の絵画が評価されている時代ではなく、モネは貧しい生活を送っていました。さらに、モネの妻であるカミーユは、病弱でした。共同生活が始まってすぐに、エルネストは親戚のいるベルギーへ行くと言って出たあと、戻ってくることはありませんでした。そして悲しいことにカミーユは32歳の若さで息を引き取ります。カミーユ亡き後も、アリスはしっかりとモネの2人の息子の世話をしました。エルネストは失踪したまま、モネとアリス、その子供たちは家族同然となっていたのです。
モネは度々スケッチ旅行に出かけ、そこからアリスに手紙を書いていました。そして、ある日ジヴェルニーを見つけ、一家みんなでの引っ越しを決めます。モネが43歳の時でした。
屋外で風景画を描くモネにとって、ジヴェルニーの庭は理想の地だったのです。そして、庭仕事にも夢中で打ち込んだといいます。
この本の中では、小説『ジヴェルニーの食卓』へ込められたマハさんの思いが語られています。初めから順風満帆だったわけではないモネの画家としての人生、苦しい時代を過ごしたモネを描きたかったそうです。そして、モネのそばで最後まで見守り、語り手として登場する娘のブランシェは、マハさん自身の化身として描かれているということです。
小説の中で、家族の絆を表現する際に「料理」がとても重要な役割を果たしています。大家族のために、質素な暮らしをしていた頃から料理を用意したアリス。そしてモネは、家族みんなが楽しく囲える食卓がある家に住もうと言うのです。
実際に、私もあのジヴェルニーの家を訪れたのでわかります。
まぶしいほどに明るい、黄色い壁の部屋にある大きな食卓、たくさんの料理が作られたであろうブルーのキッチン。あそこの家を舞台に物語を書こうと思ったときに、マハさんが「料理」によって「家族の絆」を表現しようと思ったことが。
この本の最後では、原田マハさんがたどった「モネのあしあと」が書かれています。マハさんが選ぶモネの足跡を辿る世界は必見ですよ。
3 ジヴェルニーのモネの家
私がジヴェルニーのモネの家を訪れた時は、まだ原田マハさんのこの2冊に出会っていませんでした。もしマハさんの本を先に読んでいれば、もっと感じ方は違ったかもしれません。そう思うと、残念な気持ちがします。しかし、考え方を変えれば、ジヴェルニーのあのモネの家を見ていたからこそ、マハさんの小説『ジヴェルニーの食卓』に興味をもったのであり、モネが私をマハさんに引き合わせてくれたようにも感じます。
ジヴェルニーは、パリから車で1時間ほどです。
列車で行く場合は、サン・ラザール駅から50分ほどのヴェルノン駅まで行き、そこからバスに乗り換えて20分ほど。
パリから日帰りで訪れることができる場所で、パリからの日帰りツアーなども出ているので気軽に訪れることができます。
私はジヴェルニーに1泊しました。パリに夕方到着し、そのままレンタカーでジヴェルニーに向かったのです。そして、そこで1泊してよかったと思っています。
フランスののどかな田舎町での目覚めは清々しい朝でした。ゆっくりと朝食を取り、慌ただしい移動をすることなく、モネの家に着くことができました。のんびりとフランスの田舎の街を散策したい人に、このジヴェルニーの村はおすすめです。
モネの家の入り口は小さいのですが、そこから奥に入ると、広大な敷地が広がり、明るい外壁の家が目の中に飛び込んできます。広い庭園には、種々の花が咲き誇り、丁寧に手入れされています。
家に入ると壁中に飾られている数々の浮世絵に目を奪われます。19世紀後半、モネが日本の浮世絵に魅せられて収集していた様子がよくわかります。
入り口から左側に進むと、リビング・アトリエがあります。そして、そこにはたくさんのモネの絵が飾られているのです。
2階に上がると、寝室があります。モネの寝室には、仲間であったルノアールやドガの絵も飾られています。
そして、再び1階に降りて、リビングと反対側に行くと、黄色い壁が印象的な大きな食卓のあるダイニングがあります。この壁にもまたたくさんの浮世絵が飾られています。
窓から差し込む光が黄色い壁を照らし、明るい雰囲気が満ちあふれています。
その奥には、ブルーを基調としたタイルが貼られたキッチンがあります。
ここで、アリスはモネと家族のために料理をし、大きな食卓を囲って家族の団欒がなされたのですね。
外に出て、庭を奥まで進むと、睡蓮の池があります。
太鼓橋がかかった池は、個人邸の庭とは思えないほどの美しさです。モネの最後の大作となった『睡蓮』が誕生した、まさにモネの理想郷の庭ですね。
小説の中で、モネが幼いブランシェと一緒に屋外で明るい光の下で絵を描いていたように、明るい太陽の下こそがモネのアトリエであったのです。そして、ジヴェルニーはまさにそんな光のアトリエが体現された場所だったのですね。